ストーリー


第四話「幻夢の中で」(後編)

 

 

 

 

折りたたむ

 

あれから沢山沢山考えたんだ。

それぞれの願い、想いがあるように、幸せの形もきっと人それぞれなんだと思う。

それが例えどんなモノであったとしても、他人が価値を決める事は出来ないんだって。

今でもまだ自分には、"幸せ"がどんなもので、どんな色をしていて、どんな形をしているのか、それは一体何なのか…全然分からないけど。

……それでも多分、あの時と比べたら、ずっと理解出来るようになったと思う。

どれもこれも、家族のみんなのおかげ。

だから、だから。

………あれもきっと、1つの幸せの形だったんだろうなって。

…そうだよね?

 

✝︎◆✝︎

 

朝。どんよりとした気分の中子供たちは目を覚ます。いつものような元気はどこにもなく、「おはよう」という明るい声も聞こえない。

起きて早々居心地の悪い空気に、ミアはぎゅっと人形を抱きしめる。

…昨日の夕方。アーテルによってゲームへの参加を余儀なくされたミアは、緊張か恐怖、或いはそのどちらもか、夜はまともに眠れなかったようで目の下には隈が出来ていた。

「ミアちゃん」

「!…ラーナおにいちゃん…」

俯く少女の顔を屈んで覗き込んできたのはラーナだった。ラーナは相も変わらず優しく穏やかな表情でミアに話しかける。

「大丈夫?すごく疲れてるように見えるけど…昨日眠れなかったの?」

「……うん」

ミアの声はいつも以上に元気がなかった。それも仕方がないことだが、ラーナは心配そうに彼女の頭を優しく撫でた。

「…下でシスターがご飯作って待ってるよ、行こ?」

そう言うとラーナはミアに両手を差し出した。ミアが恐る恐るラーナの首に手を回すと、ラーナはひょいとミアを抱えあげた。そしてそのまま寝室を出て1階へと降りていく。

途中、部屋を出る前に見えたルーナの姿を、ミアは直視することが出来なかった。

 

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「ごちそうさま……」

ミアが両手を合わせて小さくそう呟いた。朝食は殆ど残されたままだった。そのまま逃げるようにしてその場を後にしようとした時、ふと、ルーナがミアへ声をかけた。

「ミア。ちょっといいかしら?」

「えっ、ぁ…う、うん」

ルーナの呼び止めにミアはびくりと小さく肩を震わせる。ルーナはいつもと同じ優しい顔をしていたけれど、今のミアにはいつものように振る舞うことが出来なかった。

ルーナに連れられ食卓を後にする。彼女に手を引かれながらどこへ連れていかれるのだろうと見ていると、ルーナは館の外へと出て行き、近くの花壇に腰掛けた。

「私の膝に座って?髪が乱れてるから直してあげる」

「あっ、…ん、わかった」

ルーナがぽんぽんと自分の膝を叩く。ミアは言われた通りに彼女の膝にちょこんと座った。

自分の髪を梳くルーナの手つきは優しくて、朝の肌寒い空気と相まってとても暖かかった。けれどミアはどこか緊張した様子で俯いていた。そんな彼女にルーナが優しく話す。

「…ミア、今の貴方がどれほどの恐怖を感じているのか、私にはわかるわ。でも安心して。私は絶対に、貴方の命を奪ったりなんてしない」

「えっ…?」

髪を梳く手つきはそのままに、ルーナは優しい微笑みでそう言った。

「でも、でもそれじゃ、ミアたち…どうするの…?」

「どうしたらいいかは分からないわ…でも私には、大切な家族を…可愛い私の妹を、殺すなんて真似出来ないわ」

そう言ってルーナがミアの頬を優しく撫でる。ミアが振り返った時、ルーナの瞳は慈しむような、慈愛に満ちた目をしていた。

「だからお願い。そんな顔をしないで。貴方が悲しいと、私も悲しくなるわ」

ルーナはそっと、ミアの恐怖や緊張を包み込むように彼女を緩く抱きしめた。そしてぽんぽんと、背中を優しく撫でる。

ミアは少しの迷いの後、するするとルーナの背に手を回す。そして彼女の胸に頬を寄せる。心臓の上に耳を当てると、とく、とくと、心臓の音が鮮明に聞こえた。

子守唄のように心地の良い心音と、彼女の温もりにじわりと目頭が熱くなる。抑え込んでいた感情が、やがて溢れ出した涙と共に一気に流れ出ていく。

 

「っミア、ミア、もう誰もしんでほしくない!いたい思いもしてほしくない、おわかれしたくない、ころしあいなんてしたくない!バイバイなんてやだよお、ずっとみんなとなかよくしてたいよぉ」

 

緩く回されていた腕はいつの間にか強くなっていて、ミアは泣きじゃくりながらルーナに抱きついた。ルーナもまた、彼女の頭を優しく撫でながら、少女の切ない悲鳴を受け止める。

「大丈夫、大丈夫よミア…私が絶対に貴方を守るから。貴方にこれ以上辛い思いなんてさせないから」

その声はきっと少女に届いたのだろう。ミアはルーナの肩に顔を埋めわんわんと泣いた。

小さな少女が背負うにはあまりにも大きすぎた悲しみと苦しみ、寂しさをその身で受け止めたルーナは、彼女の体をぎゅっと包み込む。少女の溜め込んだ苦しみが空っぽになるまで、その身体を離さなかった。

 

…そんな少女たち2人の姿を、窓からじっと見つめる影があった。

 

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『__さてさて!そろそろゲームの時間だ!お留守番の子供たちはモニターの前へ、ルーナちゃんとミアちゃんはコロシアムの方まで向かってくれるかな?』

アーテルがそう言うと、涙で目尻を赤くさせたミアと、彼女の頭を撫でていたルーナが顔を上げる。もうそんな時間なのね、と思いながらルーナがコロシアムの方をぼんやりと見つめていると、ミアがパッと立ち上がった。

「ルーナお姉ちゃん、いこ!」

「!…ミア…」

「ミア、もう大丈夫だよ。ルーナお姉ちゃんがぎゅってして、いいこいいこってしてくれたから、もう悲しくないの。ルーナお姉ちゃんが守ってくれるから、ミア、ちっとも怖くないよ!」

眩しいまでの笑顔を向けてルーナに手を差し伸べるミア。泣き腫らした瞳で笑う少女の姿が、いつしか見た妹の姿と重なって……

「…えぇ、そうね。行きましょう、ミア」

小さなその手を取れば、ぎゅっと握り返される。心地よい人の温もりと柔らかなその手に、ミアはにへりと花が咲いたように無邪気に笑う。ルーナもまた、それに釣られて微笑む。

2人はぎゅっと固く手を繋いで風が吹く草原の中、コロシアムへの道を辿った。

 

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コロシアムの前へ辿り着くと、目の前の大きな門が音を立ててゆっくりと開かれていく。その音に驚いたのか、ミアの手にきゅっと力が入るが、ルーナがそれを落ち着かせるようにミアの手をもう片方の手で優しく包み込んだ。

『さ!2人とも中へ入って、真ん中へどうぞ〜』

言われるがままに2人は手を繋いだまま真ん中へと立つ。

『中がどうなってるか見るのは初めてだよね?驚きのあまりひっくり返らないでね〜、さぁ2人とも、衝撃に備えて!』

アーテルのその言葉を合図にぐにゃりと視界が歪む。突然のことに驚いたミアは咄嗟にルーナに抱きついた。ルーナがピリッと痛む頭を抑えて目を開くと、周辺が青い光に包まれて姿形を変えていった。

「(…ああ、成程。これが…)」

そして目の前に現れた風景は、かつて自身が死に物狂いで生きた世界……つい昨日、屋敷の中のモニター越しに見た景色、ゴミの世界だった。

『昨日のゲームの様子を見てたならもうわかると思うけど、ここは君たちの記憶から形作ったゴミの世界だ。基本的に記憶通りに作られてるから再現度は高いと思うよ』

「えぇ、ご丁寧な説明どうもありがとう。もう結構よ」

アーテルの声をルーナが冷たく制す。そしてミアの手を引いて街の中へと迷わず進んで行く。

『ちょっと酷くない!?年頃の女のコの扱いは難しいなぁ〜。……あっそうだ、観測に移る前に一つだけ伝えておくよ』

アーテルの声に足を止めることなく突き進むルーナ。アーテルもまたそれを気にすることなく話を続ける。

『先にも言った通り、ここは君たちの記憶から作られた街だ。…けど今回はどうやら、どちらかの朧気な記憶から再現された場所も存在するみたい。そういう場所は全体的に不安定だから、まぁ……頑張ってね!』

途中から飽きたのか適当に話を終わらせたアーテルは、"では!僕は観察に移るよ、2人とも楽しんで!"と笑った後いなくなった。

アーテルの言っている意味はよくわからなかったが、少なくとも前回とは違う何かがあるかもしれないという事だろうか。何にせよ注意して歩くに越したことは無いだろうと考えながら、ルーナとミアは歩を進めた。

 

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町の中はいつしかモニター越しに見た景色と何ら変わりなかった。寂れた建物がそこかしこにぽつんと建っていて、辺りは閑散としている。あの頃から何一つ変わっていないように見える。

「こんな場所を歩かせて、本当に趣味の悪い人ね…」

「?ルーナお姉ちゃん、だいじょうぶ…?」

「!えぇ、大丈夫よ。心配しないでミア」

難しい表情をしていたのかしら。ミアは心配そうに私の顔を覗き込んだ。彼女を安心させるように私はふわりと微笑んでみせる。そうしたら彼女もまた花のような笑みを返してくれるから。

「…本当に、人誰もいないんだね……」

ミアが辺りをきょろきょろと見渡しながらぽつりと呟いた。私の思い違いじゃなければ、彼女は人がいないという事実に少し安心しているようにも見えた。

「ふふ、大丈夫よ。ここに危ない人はいないわ。勿論お化けもね」

「みっ、ミアおばけこわくないよ!」

「分かっているわ、ミアは強い子だものね」

そう言って頭を撫でれは彼女は満足そうに胸を張りふふん、と小さく鼻を鳴らした。その可愛らしい行動に思わず私はくすくすと笑った。先程と比べると彼女は一層落ち着いているようだった。

「ねえルーナお姉ちゃん、ミアたちこれから何するの…?」

「そうね…人も居ないことだし、まずはこの町を探検してみようと思うの。もしかしたら面白いものが見つかるかもしれないでしょう?」

「おもしろいもの…」

ミアはぽつりとそう呟き、何事かを考えたあと明るく大きく頷いた。

「うん、楽しそう…ルーナお姉ちゃんとジャックがいっしょなら、きっとたのしいと思う!」

その笑顔はまさに無邪気な少女そのものだった。私はそんな彼女の手をぎゅっと握り、彼女の歩みに合わせてゆっくりと歩いた。

……暫く彼女を引き連れ町中を歩き回っていた。このゴミの世界にいた時は幼かった事もあり、当時知らなかった場所や物は自分が思っていたよりも沢山あった。

町の脇に添えられるように並べられた小さな花壇、アスファルトの床を切り抜いて1本だけ生えていた樹木、いつしか見た事のある建物がお花屋さんだったこと、昔は怖くて進めなかった道の先が、なんて事ないただの行き止まりだったこと…

初めて知ったこの町のことは、どれもこれも大したことの無い、つまらないものばかりだった。けれど私にはそれが新鮮に感じた。幼いあの時に見たこの世界と今見ているこの世界は、存外違ったもののように感じた。

そして、たった今たどり着いたこの場所も、私の知らない新しい場所だった。どうやらこの空間は公園のようで、何も無い広々とした空間にぽつんとさびついた水道と、ブランコだけが置かれていた。

こんな場所に公園があったなんて知らなかった。そう驚いていると、ここに来てからずっと私の手を離さなかったミアがパッと手を離した。驚いてそちらを見ると、彼女はどこか楽しそうにブランコの方へと一目散に走っていった。

「こらミア、走ると危ないわ」

「みてみて!ブランコ!ミア絵本でしか読んだことない!」

そう言って彼女は迷わずブランコに座った。ジャックと呼ばれるうさぎの人形を自分の膝へ大事そうに乗せた後、パタパタと足をばたつかせ始めた。

ブランコの乗り方を知らないのであろうミアは、動かないそれに不思議そうに小首を傾げていた。その姿があまりにもおかしくて、私は彼女の後ろに回って背中を押してあげることにした。

「いい?ミア。絶対に手を離しちゃダメよ」

「?うん、わかった」

彼女が鎖をぎゅっと握ったのを確認した後、私はポン、と軽く彼女の背中を押した。ミアとジャックを乗せたブランコは、ギィ、と音を軋ませながら揺れだした。

「わっ、すごい!動いてる!おそら飛んでるみたい!」

「はしゃぐと落ちちゃうわ」

パタパタ足を動かしながらミアがきゃっきゃと笑う。いつかの不安そうな表情は嘘みたいに彼女にはいつもの笑顔が戻っていた。

彼女が落ちないように力加減を気をつけながら、リズムよくポン、ポン…と背中を押す。ミアはその度に嬉しそうにはしゃいでいた。

その笑い声と、時折振り向いてこちらに笑いかける姿を見て、ふと。懐かしい気持ちになる。

こちらを振り向き笑うミアの姿が、かつての妹の姿と重なった。美しい赤い瞳を持った妹はいつも、無邪気に私の方を見ては笑っていた。私のことをお姉ちゃんと呼び慕ってくれていた。

ブラウン色の綺麗な髪を風になびかせるミアの後ろ姿を、私は愛おしそうに、そしてどこか寂しく思いながら見つめていた。目の前にいる彼女が妹ではないとわかってはいるものの、どうしても、今この瞬間彼女に妹の面影を見出さざるをえなくて。

私をお姉ちゃんと呼び、人懐っこくくっついてきたあの可愛い妹は、一体どこへ行ってしまったのだろう。薄汚れた暗いこの町で離れ離れになってしまった後、彼女はどう過ごしていたのだろう。妹はまだ、この世界のどこかに、いるのだろうか。

忘れかけていた感情がふつふつと蘇ってくる。私の大切な妹…エリーは、きっと今もまだどこかで生きている。飢えに泣きながら、1人でずっと私の帰りを待っているかもしれない。

探さなくちゃ。見つけなくちゃ。この壊れた世界に置いてきた、私の唯一無二の大切な宝物。エリー、エリー。あなたは今どこにいるの?

ふと。可愛らしい声で歌が聞こえた。その声に意識を引き戻された私は声の主の方を見た。声の主であるミアは、ブランコに揺られながら、ご機嫌な様子で歌を口ずさんでいた。

かえるのうたが、きこえてくるよ。

シスターから教えてもらったのか、ミアはよくこの歌を歌っていた。ギィギィと鎖の軋む音だけが響いていた空虚な空間に、小さな少女の可愛らしい歌声が響き渡った。

 

………今もまだ、この町のどこかにエリーがいるとしたら。手遅れじゃないのだとしたら。彼女を、取り戻すことが出来るのだとしたら。

目の前でご機嫌な歌を口ずさむ少女を見つめながら、そんなことを考える。

会いたくて、仕方の無いもの。欲しくて、たまらないもの。それがもし、手に入るのだとしたら。

 

私は

 

「ルーナお姉ちゃん?」

鈴を降ったような声にハッと意識を取り戻す。ふと視線を落とすと、ミアが不思議そうにこちらを見上げていた。どうやら考え事をしすぎたあまりブランコを押す手が止まっていたみたい。

「大丈夫…?どこかいたいの?」

「いいえ、大丈夫よ…ごめんなさい、ちょっと腕が疲れちゃったみたいで」

「本当…?ごめんね、ミアきづかなくて…」

「いいのよ、謝らないで。貴方が楽しんでくれたなら私も嬉しいわ」

「うん……」

ミアはしゅん、と視線を落とした。私はにこりと人の良い笑みを浮かべる。

「…そろそろ行きましょうか、まだまだ知らない場所が沢山あるかもしれないわ」

「うん、わかった…」

手を差し伸べると、ミアは緩く私の手を取った。一瞬過った思考を振り払うように、私は足早にミアを連れて公園を後にした。

 

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公園から出た後も、ルーナお姉ちゃんはずっと不安そうな顔をしてた。なんでかわからないけど、もしかしたら、ミアがルーナおねえちゃんにブランコずっと押してもらってたせいかなって。

本当はつかれてたのに、ルーナお姉ちゃんはミアのためにがんばって押してくれてたのかもしれない。ミアがわがまま言うから、ルーナお姉ちゃんのこと困らせちゃったのかもしれない。

ミアのこと、守るって言ってくれたルーナお姉ちゃんのこと、これ以上困らせたくなんかないのに。

ミアは、ルーナお姉ちゃんと繋いでない方の手でジャックをぎゅってした。ジャックからはお日様のにおいがして、それでほんのちょっぴり、ミアも元気になれた。

…そうだよね。ルーナお姉ちゃんに頼ってばかりじゃダメだよね。ミアがしっかりしないと、ルーナお姉ちゃんのこと、守ってあげないと!

そう思って、ミアはルーナお姉ちゃんの手をはなした。それで、少しでもルーナお姉ちゃんのお手伝いが出来ればいいなと思って、走ったの。

「ルーナお姉ちゃん、ここから先はミアがあんないしてあげる!だからミアについてきて!」

「ちょ、ちょっと!走っちゃダメよミア!」

ルーナお姉ちゃんは慌ててミアのことまで走ってきた。でもミアは止まらない。ルーナお姉ちゃんがミアにしてくれたみたいに、ミアもルーナお姉ちゃんを案内してあげたいから。

ルーナお姉ちゃんが見たことないものを見つけたら、きっと喜んでくれると思ったから。ミアは先へ先へと走ったの。

…だから、きづかなかったの。

「ッミア!!」

ルーナお姉ちゃんの、ミアを呼ぶ大きな声が後ろから聞こえた。どうしたんだろうと思って振り返ろうとしたら、ぐいって強くひっぱられて床に転んだ。

そしたら、さっきミアが立ってた目の前の床が、ガラガラって崩れちゃった。何がおこったのか分からなくてびっくりしてたら、ミアのことぎゅってしてるルーナお姉ちゃんが起き上がった。

「…危なかった…無事でよかったわ。…ここ、どうしてこんなに床が無くなっているの…?」

ルーナお姉ちゃんの見てるところを見たら、崩れた床の底はなにもみえない真っ暗な落とし穴みたいになってて、周りには沢山それと同じ穴が空いていた。

「これが…あの人の言っていた"不安定な場所"なのかしら…」

ルーナお姉ちゃんの言葉の意味が分からなくて、どういうことなんだろうって見てたら、ミアは、ルーナお姉ちゃんの腕から血が出てることに気づいた

「る、ルーナお姉ちゃ、血、」

「うん?あぁ…さっきので擦りむいちゃったみたいだわ…大丈夫よ、これくらい痛くないわ」

ルーナお姉ちゃんがミアを守ってくれた時に、地面に転んだせいで腕を擦りむいちゃったみたい。

ミアのことを、庇ったせいで、ルーナお姉ちゃんが怪我をした。

ミアのせいで、ルーナお姉ちゃんが、痛い思いをした。

ミアのせいで。

怖くなって、悲しくなって、ミアはぎゅってジャックを抱きしめる。泣きそうになるのをがまんしながら、ルーナお姉ちゃんにいう。

「…ごめん、なさい、ごめんなさい、ミアが……ミアのせいで、ルーナお姉ちゃん、」

「違うわ、貴方は何も悪くないのよミア。だから泣かないで頂戴?」

ルーナお姉ちゃんがやさしい声でミアの頭を撫でてくれた。でもミアは、ちっともよくならなくて、ミアのせいで"また"誰かが傷ついたのが、悲しくて、嫌で、

「ううんっ違うの、ミアが、ミアがぜんぶ悪いの!ミアがドジだから、ミアがこわくて、にげちゃったから、だから、だからっ、」

ぜんぶぜんぶミアのせい。ミアがよわいから。ミアが意気地無しだから。ミアがばかだから、ミアが、逃げたから。

あのときもそうだった。ミアがもっとちゃんとしてれば、おりこうさんだったら、きっと、あんな事にならなかった。こんな事にならなかった。誰も、痛い思い、しなくてすんだのに。

ジャックをいっぱいいっぱいぎゅってして、頭の中で何度もいうの。ごめんなさいって。

 

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、

 

ごめん、なさい。

 

「ミア」

 

悲しくて、つらくて、泣いてたら、ルーナお姉ちゃんがミアのこと優しくぎゅってしてくれた。それから、しすたーみたいな、やさしい声で、いってくれた。

「私はそばに居る、ずっと貴女のそばにいるわ。だから大丈夫。大丈夫だから、ね。」

ぽんぽんって撫でられてたら、ちょっとずつ、ゆっくり心のもやもやが晴れてきた。ルーナお姉ちゃんの腕の中は暖かくて、心地よくて、安心できた。

大きく息をすーって吸い込んで、ふうってして、悲しい気持ちをはきだした。

「………ありがとう、ルーナお姉ちゃん…」

「いいのよ、気にしないで。……ここは危険な場所だわ、早く移動した方がいいわね」

ルーナお姉ちゃんはそう言ってミアの手を取ってたちあがった。ミアも、振り返って周りを見渡す。…どうしてかわかんないけど、この場所にいると、ミアもとっても苦しくなる。

「…うん、………ミアも、ここ、きらい…」

「それじゃあ行きましょう。歩けるかしら?」

「ん、だいじょうぶだよ」

もういっかい、ルーナお姉ちゃんとぎゅって手をつなぐ。さっきまで泣きそうで、辛くて、苦しかったけど、今は少しだけ心が楽だった。

隣を見ると、ちゃんとジャックがいた。大丈夫、大丈夫。ジャックはずっとここにいる。ミアはまだ、ひとりじゃない。

ゆっくり歩きながら、ミアはおまじないを唱えるみたいに心の中でそういいきかせた。

 

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店が立ち並ぶ町を歩きながら、ルーナは考え事に耽っていた。先程ミアが危険に陥ったあの場所の事についてだ。

あの場所は他の場所とは違って至る箇所がちぎれた紙みたいに"無くなっていた"。それは建物が朽ちて欠けているとか、そういった類のものではなく、"空間そのものが切り取られたみたいに無くなっていた"のだ。

ミアの足場が陥没した時、その下は文字通り何も見えない奈落の底だった。あそこに落ちれば一環の終わりであろう事は容易に想像できた。

元々このゴミの世界にそんな場所は存在しなかった。何故あんなことになっていたのだろう。アーテルの言っていた「不安定な場所」というのは、一体どういう意味なのだろう。

しかしその考えは、落ち着きを取り戻したミアの明るい一言で霧散した。

「あっ!すごい、こんなところにお菓子やさんがある!ルーナお姉ちゃん、入っていい?」

ミアが指さしたその建物は、ボロボロのお菓子やさんだった。昔何度かこの近くを通りかかっていたので、この店の存在は知っていた。ルーナが優しく頷くと、ミアはパタパタと店の方へと向かっていった。

「すごい!みてみてジャック、お菓子たくさんあるよ」

割れたガラスのケースの中に入った、お菓子と言うにはあまりにも質素なそれを、ミアが嬉しそうにジャックに見せていた。その姿を見て、ルーナは気の毒そうな顔をする。

「(………ミアも、大切な人の行方が分からなくなっているのよね)」

ルーナは、ミアが抱き抱えたうさぎの人形…ジャックを見る。ミアの腕の中で大切に抱きしめられたその存在のことを、ルーナはよく知っていた。それがミアにとってどんなに大切な人であるかも。

けれどそれは、今の自分にとって関係の無い事だった。

店内に入り、ルーナは辺りを見渡す。壊れ朽ちたこの場所は、沢山のものが散乱していた。

崩れた建物の鉄くず、割れたガラスの破片、むき出しになった釘や重たい石の塊…

武器はいくらでもある。

どれを使っても、目の前の小さな少女の命を断つことは容易いだろう。

妹のこと…エリーのことを思い出した時、ルーナには確かな野望が宿っていた。

それは、家族の命に変えてでも手に入れたいもの。

自分の願いを叶える手段があるのに、それをわざわざ棒に振るつもりなど毛頭なかった。

全ては、妹のため。自分の欲望のため。

時には優しい嘘だって必要でしょう?

あの子を苦しませて、怖がらせたくなかったんだもの。

だからこれは、仕方の無いことなのよ。

神様も許してくれるでしょう?

ルーナは目の前に落ちていたガラスの破片を拾う

「ねえルーナお姉ちゃん、ここにあるお菓子食べても大丈夫かなあ…?ミアお腹すいちゃった」

「ええ、大丈夫よ、…………ミア」

こちらを振り返ることなく、ミアは嬉々とした様子でショーケースの中にあるお菓子を手に取った。

ルーナの近寄る足音は、ミアのお菓子の袋を破る音で掻き消されていた。

今がチャンスだろう。

ガラスの破片を片手に、ゆっくりと、ルーナはミアへと近づく。

そして、彼女との距離が手を伸ばせば届く所にまで来たとき。

ルーナは、少女へ、ゆっくりと手を伸ばした。

(ごめんなさい、ミア。酷い私を許して頂戴。)

ガラスの破片をミアの方へ構え、彼女の肩を掴もうとする。

その瞬間

 

ルーナは、ミアが口にしたであろうお菓子の匂いと、その包み紙を見て目を見開く。

その匂いは、いつかの、記憶を、呼び起こして____

バシンッ。

ルーナはほぼ無意識に、ミアの手からそのお菓子を叩き落としていた。

…しかしどうやら既に手遅れだったようだ。

「っぅ、う、ううぁぁああ、ぁぁぁぁああああああぁあぁあぁあ!!!!」

突如として、ミアが両手で頭を抱えしゃがみこんだ後叫びにも近い呻き声をあげ始めた。苦しそうに、辛そうに、気が狂ったように声を荒らげる少女は完全に正気を失っていた。

ルーナは、これを、知っている。動揺で震える手と荒らぐ呼吸を吐きながら、確信する。

「麻、薬」

手に握っていたガラスの破片を落とし、気づけばルーナはミアを抱え店を飛び出していた。

尚も泣き叫ぶミアに構うことなく、ルーナは我武者羅に走っていた。途中ミアの抱いていた人形が地面に落ちてしまったが、それでも彼女は気に止めることなく走った。

あんなものが何故ここにあるのか分からない、けれどそんなことを考えている暇などなかった。

夢中で走って、やっとの思いでたどり着いたその場所は先程訪れた寂れた公園だった。ルーナは公園に入るや否や、真っ先に水道の方へと走った。

そして暴れ狂うミアに無理やり水を飲ませた。ミアは我を失ったように声を荒らげていた。

「ダメ、ダメよミア、目を覚まして」

「ぁ、ううううううううっっ、ッぁあぁあぁあぁあ」

「お願いだから、落ち着いて、」

正気を失ったミアは自身の体を抑え込むルーナの手を力いっぱい引っ掻いたり、噛み付いたりした。そうして暴れるミアはまるで猛獣のようだった。

ルーナは真っ青な顔で何度もミアに呼び掛ける。殺そうとした相手に、どうしてこんな事をしているのか分からない。けど、止めないと、いけないと思った。

彼女が口にしたお菓子に麻薬が入っていた事を知っているルーナは、その先に起こる悲劇も分かっていたから。

自分から発せられる血の匂いに顔を歪める。どちらにせよ、今この子を解放すれば、きっと死ぬのは自分だとルーナは確信していた。痛みに顔を歪ませながら、彼女は必死にミアを止める。

「じゃっ、く、に、ちゃ、どこ"、いな、い、いないっいないいないいいないいないいないいやだいやだいやだいやだ」

虚ろな瞳で声を荒らげながら目線だけで周りを見渡すミアはジャックを探している様子だった。

ルーナは、たまらず叫ぶ。

「お願いだから、やめてミア!!」

 

『縺企。倥>縲√d繧√※繧ィ繝ェ繝シ??シ』

 

そう叫んだ時、ふと、甲高い叫び声が聞こえた。それは自分のものでも、ミアのものでもなかった。けれどそれは確かに、聞き覚えがあった。

 

『逞帙>縲∝ォ後□縲√d繧√※縲√d繧√※縲√d繧√※』

『逞帙>縲∫李縺??∫李縺??∫李縺??∫李縺??∫李縺』

『縺企。倥>縲∝?縺ォ謌サ縺」縺ヲ縲√お繝ェ繝シ』

 

ルーナは目を見開いた。目の前で暴れる少女が、ミアが、何かと重なる。

ボサボサになった髪を揺らしながら、私に襲いかかったあの子の姿。痛いと泣き叫ぶ悲鳴を聞く耳も持たなかったあの子の姿。赤色の、瞳をした、

違う。

我を忘れ喰らい尽くすその姿は、私の知ってるあの子じゃない

金色の髪で、私に喰らい尽いたあの子の瞳は、青色、で、青。青色。私は 私、は、あの、とき、あの、と、

 

『もうやめてエリー!!!』

 

脳に浮かんだその映像は、"私"を見つめる、涙と血でぐちゃぐちゃになった、赤色の瞳をした、"あの子"の姿で、

 

「ル な?」

 

繝ォ繝シ繝の思考はぐちゃぐちゃになる。

その瞬間、ミアが繝ォ繝シ繝の動揺した隙をついて彼女に襲いかかった。

突然のことに対応出来なかった繝ォ繝シ繝はされるがままに地面に倒れ込む。腕で顔を隠し辛うじて抵抗の動きを見せるが、ミアは構うことなく繝ォ繝シ繝の腕を、首を、顔を、引っ掻き、抉る。

「ちがう、ちがう、ちがう、じゃっくじゃない、じゃっく、じゃっく、じゃっくじゃっくじゃっくじゃっくじゃっくどこにいるの、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」

血の匂いが脳を埋め尽くす。どこが痛いのかも分からない程にぼんやりとした思考は、目の前で我を失った少女を見つめる。

噎せ返る血の匂いと、ミアの暴走によって今しがた呼び起こされた映像を、繝ォ繝シ繝は心の底から否定した。

違う。違う。違う。だって私は、私はエリーを、あの時、あの時?

引っ掻く事をやめ、ついにはミアは繝ォ繝シ繝の腕を噛みちぎる程の力で食らいついた。ルーナの腕からは、血が溢れ出す。

吹き出す赤を見て、青い瞳を見開いた繝ォ繝シ繝が絶句する。

そして、頭の中に流れる映像を、繝ォ繝シ繝か正確に認識してしまうよりも前に、

 

「ぁ」

 

耳を劈くような唸り声と、ミアの攻撃が突如としてピタりと止んだ。

「……………ぇ ?」

それと同時に、ルーナも正気に戻る。ルーナはミアの突然の異変に気づきパッと彼女の方を見る。

先程の敵意が嘘のように、ミアは、血走った瞳で何も無い一点をただじっと見つめていた。そして数秒の沈黙の後、彼女が口を開いた。

 

「……ジャック おにい ちゃん?」

 

それは紛れもなく彼女の……、…ミアの、兄の名前だった。

彼女の兄の名はミア本人から聞いていたためルーナはすぐにそう理解した。しかし、彼女の視線の先を見ても、あの人形はもちろん、そこには誰もいなかった。

「よかっ た、よかった、ジャックおにいちゃん、いたんだね、ミアのちかく、いてくれたんだ…いなくなったっておもって、ミア、すっごく ふあんだったんだよ」

「ミア……?」

ミアの表情は先程とは打って変わって、どこか安心したような、希望に満ちたような顔をしていた。そうしてミアは、呆然とするルーナの元から勢いよく飛び出し駆け出した。

「ッ待ってミアっ!どこに行くの!?」

ルーナは慌てて彼女の後を追うが、ミアの心は決してこちらに向くことは無かった。彼女はただ真っ直ぐ、走る。

あの不安定に崩れた世界の方へ。

 

「まってジャックおにいちゃん!ミア、ずっとあいたかったの!ずっとずっと、まってたんだよ!」

「!!嘘、待ってミア!止まって!」

 

「ミアずっとひとりでさびしかったの、ミアのせいで、おにいちゃんがいなくなって、ずっとずっとさびしかったの、くるしかったの、おにいちゃんはここにいるって思ってたけど、ほんとはいないのわかってたの」

 

「でも、もう大丈夫だよ、ミアもう絶対におにいちゃんから離れない、おにいちゃんのそばにいる、ずっとずっと一緒にいるよ、おにいちゃん、」

 

視界の上でぐらりと何かが揺れる。それを認識したルーナは、血だらけの腕で、ミアに手を伸ばす。

 

「ダメ、ミア、その先は、」

「あいたかったよ、ジャックおにいちゃん!」

「ミア!!!!!!!!!」

 

グシャ。

 

空から落ちてきた看板が、肉を引き潰す音をたてた。

潰れた肉片と、飛び散った鮮血がルーナの真っ白な顔を赤く汚す。

「あ ぁ 」

ぁ。あ。ぁ。ぁあ。

まっかな、それは、まるで

 

『___あはは。ゲーム終了、お疲れ様 ルーナちゃん』

ゲームの終わりを知らすベルの音は、今のルーナに届くことは無かった。