何が起きたのかわからない。
この目で見たはずの光景はあまりにも現実味がなさすぎた。
ここにいる誰もが、呆然と画面に映る光景を見つめて立ち竦んでいた。
アーテルに言われるままに連れていかれた2人を見送って家に戻った後、家の中には幾つかのブラウン管テレビが詰まれるようにして並べられていた。
こんなモノ先程まで無かったはずだが、最近はずっとおかしな事ばかりが起きているせいか、ここにいる誰もそんな事を今更不思議に思うこともなかった。
だけど、目の前のモニターが点灯して映し出された映像を見た時は誰もが驚いた顔をしていた。
そこにはコロシアムに向かったはずの2人と、見たことのある景色…かつて自分たちが過ごしていたゴミの世界の景色が映し出されていたからだった。
どうやらこの映像の視点は街の各地に設置されているのであろう監視カメラからの目線になっているようで、街の様子はそのカメラから伺えた。
記憶通りのその風景に気味の悪さを覚えながらも、子供たちは、2人の行く末をじっと見守っていた。
様子がおかしくなったのは途中からだった。
モニターに映るエスピダは何も無い路地の奥へと進んで行った。その先の映像はどのモニターを確認しても映っていなかった。彼は暫くの間、この監視下から姿を消していた。
暫くして戻ってきた彼はいつの間にやら鉈を手に持っていて、豹変したみたいにロゼを襲った。
あの時あの場所でエスピダが何を見たのかを知らない子供たちは、突然の彼の豹変に驚きと困惑、恐怖を滲ませた顔をしていた。
何も様子が変わったのはエスピダだけではない。ロゼもそうだ。
エスピダから逃げている時、ロゼは足を躓かせて転んだ。その後の彼女の様子もおかしかった。
彼女はその時、"何も無い場所"をただずっと見つめていた。そして立ち上がった時には、いつの間にやら彼女の手にはナイフが握られていた。
…そうして、今この瞬間に至る。
ロゼのナイフがエスピダの首を掻き切り、真っ赤な鮮血が飛び散ったと同時、エスピダが力なく地面へと倒れた。
その様子はモニター越しからもよく確認できた。ここにいる子供たちはたった今、家族の死をこの目で見届けたのだ。
「…ねえ、あれ、なに…?エスピダお兄ちゃん、どうなっちゃったの?ねぇっラーナお兄ちゃん…」
不安そうな、泣きそうな表情でミアがラーナの裾を引っ張る。画面をただじっと見つめていたラーナは、ハッとしたあと怯えるミアをぎゅっと抱きしめた。
「エスピダお兄ちゃん、どうして寝ちゃったの?なにがあったの?ねえ、どうして、」
「………」
ミアの声は震えていた。ラーナは何も言わなかった。ただ小さな妹の頭を優しく撫でるだけだった。
涙に滲んだ少女の声をかき消す様に、大きなブザーの音が響いた。それはモニターからではなく、現実の…外の方から聞こえる音だった。そして次いで聞こえた声は
『___ゲーム終了、お疲れ様 ロゼちゃん』
地獄の底で笑う、悪魔の声。
✝︎◆✝︎
数十分後。神父とシスターがボロボロになったロゼを抱えて戻ってきた。深い傷を負ったせいか、ロゼは意識を失っているようだった。その隣で、シスターはただ静かに泣いていた。
「…酷い怪我だ。……神父様、後は僕が治療致します。彼女をこのまま医務室まで連れて行って貰えますか?」
ロゼの元へと駆け寄ったニコラスは彼女の様態を見た後、落ち着いた声で神父にそう言った。放心状態だったのであろう神父はその声にハッとすると、「あぁ」と小さく呟きニコラスと共に医務室へ向かった。
「………シスター、大丈夫?」
サビクは、1人啜り泣くシスターの元へと寄り添った。シスターはただ何も言わずに顔を両手で覆って泣くだけだった。
「……ねえ、ママ …エスピダ は」
そんなシスターに、セシリアは自身の服の裾をぎゅっと握りしめたまま尋ねた。その声に反応したシスターは、紫陽花色の瞳をセシリアに向ける。そして、震える声で言った。
「………いないの、どこにも……私の可愛い我が子…どこにも、見つからなかった」
そう言うとシスターはまた声を殺して泣き始めた。その言葉を聞いて辺りは凍りつくように静まり返った。
…いない?いないって、どういうこと?
そしてそれを聞いたセシリアの表情は、困惑だろうか、絶望だろうか…そのどちらとも言える顔でシスターを見つめていた。
「…せ、セシルちゃ」
イソラが不安そうに彼女に声をかけたその時、セシリアはくるりと踵を返すとその場から逃げるようにして走った。
「ぁっ、ま、待って!」
少しの迷いの後、イソラは慌てて彼女の後を追った。2人の少女の足音が完全に聞こえなくなった頃には、その場はまたシスターの啜り泣く声だけが響く空虚な空間へと戻った。
「…いない って どういうこと?でもオレたち確かに見たで、エスピダが、……倒れたとこ」
パロディが訝しむようにシスターに問いかける。嗚咽を交えながら、シスターも混乱した様子で話す。
「私が行った時には もう何処にも、何もいなかったの。寂れた町はいつの間にか姿を消していて、広い空間の真ん中には、ロゼ1人しか、いなくて…絶対どこかに居ると探し回ったのよ、けど、どこにもいなかった」
話すにつれて、シスターの声はどんどんか細く小さくなっていった。この現状を受け入れられないのは何も子供たちだけではない。シスターもまた同じなのだ。
「こんなの、あんまりよ…神はどうして、あの子が生きた証すら残してくれないの…」
その声は懇願にも近しく聞こえた。切ない想いは誰に届く訳でもなくただ虚しく木霊するだけだった。
外はいつの間にか日が暮れていて、窓から差し込む夕日はいつもより眩しくて、シスターの背を撫でるサビクはその光に僅かに煩わしさを覚えた。
✝︎◆✝︎◆✝︎
セシリアは1人物置部屋に閉じこもっていた。薄暗くて光を差し込まないこの場所は、かつて昔…まだ自分がここに来て間もない頃によく訪れていた隠れ家のような場所。人と関わりたくない時、彼女はいつもここへ来ていた。
家族が、死んだ。それは明白な事実だった。セシリアにとって、この孤児院の家族は自分の人生において何よりも大切な存在だった。そんな大切な人が、死んだ。
「………ぅ…ぐす」
膝に顔を埋めて泣いた。目を瞑って思い出されるのは、無邪気な少年の眩しいまでの笑顔。悪戯が成功したとはしゃぐ姿。年下で、生意気で、自分よりもずっとやんちゃの癖に、自分のことを気遣ってくれる優しい少年のこと。
ゴミの世界で、初めて会った頃はあんなにもつまらなさそうな、無に等しい表情をしていた彼。けれど今に思い出されるのは、あの時、優しく自分の手を握った手の温もりと子供のような微笑み。
…セシリアは、そんな彼が、好きだった。
勿論それを彼に伝えたことは無いし、伝える気も無かった。彼は…エスピダは、大切な、家族だったから。
けれどそんな想い人はいつの間にか居なくなってしまった。影も形も残さず、跡形もなく。彼の存在を証明するものは、どこにもなかった。
「…どうして」
そんな事聞いても誰にもわからない。意味なんて無い。そんなことはわかっていた。けれど、この感情をどうしたらいいか、セシリアには分からなかった。寂しさと悲しさが、ぽっかり空いた心の穴を埋めつくした。
そんな時。コンコン、と物置の部屋の扉から音が鳴る。突然の物音にビクッと反応したセシリアはぎゅっと身を固くするが、扉の向こうにいるであろう人の声を聞いてすぐに警戒を解く。
「えっと、……セシルちゃん、います…か?」
その声の主はイソラだった。彼女の声はいつにも増して不安そうな声色だった。セシリアは特に返事を返すことなく、ただじっと、彼女が去ることを望んで黙り込んだ。
…けれど、セシリアの願いに反して、イソラはなかなか立ち去らなかった。言葉に迷いながらも、彼女は扉の奥にいるであろうセシリアに言葉を紡ぐ。
「…あの、あのねっ。……セシルちゃんが今…どんなに寂しくて、悲しくて、辛いのか、私わかるよ。大切な家族がいなくなったら、誰だって寂しいって思うもん。私だってそうだよ、エーくんは私にとって…とっても大事な家族だったから…」
セシリアは顔を伏せたまま、何も言わず、イソラの言葉を聞いていた。イソラもまた、何も言わないセシリアへ優しく寄り添う。
「……私、……私ね、エーくんはまだここにいると思うんだ。シスターはどこにも居ないって言ってたけど…そんなことないと思う」
セシリアは、ぴくりと反応する。
「確かにエーくんは帰ってこなかったけど…でも、それでエーくんの存在が消えてなくなっちゃったなんて、絶対そんなことない。」
「だって私覚えてるもん。エーくんがどんなにお寝坊さんで、元気いっぱいで、優しかったか。一緒に本を読んだことも、ご飯を食べたことも、お話したことも、全部全部覚えてるもん」
「だからね……いなくなったなんて思わないで。エーくんはずっとずっと、私たちの思い出の中でそばに居てくれてるもん。私達のこと見てくれてるもん。…ずっとここにいる、私たちの…大切な家族だよ」
セシリアは、ゆっくりと、顔を上げる。そうしてイソラの紡いだ言葉を、一つ一つなぞっていく。
彼はここにいる。いなくなってなんていない。死んでしまったとしても、ずっと、"ここにいる"。
セシリアは家族のことが大好きだった。とても大切に思っていた。みんなとずっと一緒に、幸せに暮らすことを夢見ていた。その気持ちは今も変わらなかった。ずっとずっと、家族と一緒に、いたい。
「…………ずっと、一緒…」
いつの間にか、セシリアの胸に空いた大きな穴は無くなっていた。寂しさも、悲しさも感じなかった。あるのは、一筋の、希望。
彼はまだここにいる。ずっと一緒にいる。ずっと、一緒に、居られる。
「……あはは、えと、……ごめんね、1人で喋っちゃって、でも私、…………ううん。何でもない。…それじゃあ私、…もう行くね」
イソラは慌てて笑った後、何かを言おうとして、言葉を飲み込む。返事のない扉を悲しそうに見つめて、去ろうとした瞬間。
「イソラ」
「!せ、セシルちゃん!」
セシリアが、部屋の中から出てきた。彼女の空色の瞳は、イソラの金色の瞳をじっと真っ直ぐ見つめていた。イソラははそれにほんの少し動揺するが、セシリアはイソラに一言尋ねた。
「エスピダ、…幸せだったかな?」
イソラは、その問いに驚いたような顔をする。けれど相も変わらず無表情のセシリアを見て、イソラは考える。
…他人の幸せを、自分なんかが決めつけるのは間違っている。でもきっと…きっと。エーくんがあの時見せた笑顔は、嘘じゃないと思うから。
目の前のセシリアを見て、イソラは緩く微笑んだあと、頷く。
「うん。きっとエーくんも、ここで過ごせて幸せだったって…私は思いたいな」
その言葉を聞いて、セシリアの瞳に光が宿る。そして彼女はバッとイソラの両手を握りしめる。突然のことにイソラはびっくりするが、それを気にせずセシリアは言う。
「…ありがとう、イソラ。セシルの背中、押してくれて。…セシルにとって、イソラも他の皆と同じ…とってもとっても大切な、大好きな家族だよ」
彼女の声は、先程よりもずっとずっと明るかった。とても優しい顔をしていた。だから、この手を振り払うなんてことは出来なくて。イソラは恐る恐る、ほんの少し、小さくその手を握り返して笑う。
「うん、……私も、セシルちゃんのこと大好きだよ」
少女2人はそう言って顔を見合わせると、ぷっと笑いを零す。セシリアの笑顔を見て、イソラは安心したように心の中で安堵するのだ。
イソラの言葉が、セシリアにどう響いたかはわからない。けれど、今この瞬間、セシリアには確かな希望と、願いが宿った。
(セシルのお願いごと、きっと叶えるよ)
目の前で微笑む優しい青い鳥の彼女を見つめながら、セシリアはそう思うのだった。
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
「ロゼの具合はどう?」
日が暮れた頃。窓から差し込む夕日に照らされて、ルーナとニコラスは2人で話していた。
「できる限りの治療はしました、あとは回復を待つだけですね…」
「そう…良かった。…ありがとう、ニコラス」
ルーナは優しく微笑んでそう言った。ニコラスもまた、彼女の笑みに釣られるように緩やかに笑う。
「いいえ、僕は当然のことをしているだけですから。兄として…大切な家族を助けるのは当然のことでしょう」
「あら、私が言ってるのはそういう事じゃないわ」
「?」
ルーナの言葉に不思議そうな表情で小首を傾げたニコラスの頭を、彼女は優しく撫でる。
「いつも言っているでしょう?貴方がどんなに治療に長けていて、皆の頼れるお兄ちゃんだとしても、私の前では守るべき"愛しい弟"なの。貴方が頑張り屋さんで、強い子だと言うことは私がよく知ってるわ。だから今だけは…どうか無理をしないで」
自分を撫でる彼女の優しい手に、忘れていた温もりを感じたような気がした。慈愛に満ちた彼女の瞳と、言葉に、ニコラスは恥ずかしそうな、ほんの少しむず痒そうに微笑んだ。
「やはりルーナ姉さんに撫でられるのは慣れませんね」
「大丈夫よ。貴方が慣れてくれるように私がいるんだもの」
「ふふ、そうでしたね」
そう言って2人は、姉と弟として。仲睦まじい様子でクスクスと笑う。
「私はね、貴方や…ここにいるみんなの存在があるから、私が私であれて幸せだと思えたの。今の私があるのはあなた達…大切な家族のおかげよ」
そう言ってルーナは愛おしそうに笑う。夕陽に照らされた彼女は、まるで女神のようにも見えた。
「…そんな大切な家族が、これ以上傷つく姿なんて見ていられないわ」
その声は何処と無く憂いを帯びていた。しかしニコラスの目には、ルーナの表情に僅かな違和感を感じた気がした。あくまでも気がしただけだ。
他人の心に踏み入るべきではない。そう思いつつもニコラスは、ルーナへ問いかける。
「………ルーナさん、貴方は」
しかしその時。キィン、と甲高いノイズ音が辺りに響き渡った。もう聞き慣れてしまった不快な雑音。
『やっほーーー!みんな元気してるゥー?何だかお疲れみたいだけど、大事な報告があるから失礼するよ〜』
アーテルの声によって遮られたニコラスの言葉は、ぎゅっと喉の奥へと飲み込まれた。少なくとも、今聞ける雰囲気ではなかったから。
『いやぁ今日のゲームは本当に凄かったね!見てるこっちも思わず拍手しちゃったよ、形勢逆転!って感じ?最高〜に面白かったなあ』
『…っと、あぁごめん話が逸れちゃった、本題に移るね!次に行うゲームに出てもらう2人が決まったからみんなに発表に来たんだ!』
ニコラスは表情を変えることなくアーテルの話を聞く。
『それではお待ちかね!対戦相手の発表でーす!2回戦目の対戦相手は〜、』
『ルーナちゃん&ミアちゃんです!』
ニコラスの瞳が、驚きで見開かれる。すぐにバッと隣にいる彼女を見るが……
…彼女の表情からは、何の感情も読み取れなかった。先程までの優しい笑顔はどこへやら、ルーナは無表情で、何も言わず黙っていた。
「…ルーナ姉さん、」
ニコラスが声をかけた瞬間、ルーナはパッといつもの優しい笑顔に戻る。
「あぁ、大丈夫よニコラス。少し驚いていただけだから」
そう言ってニコラスの頬を撫でるルーナはいつも通りの優しい姉だつたが、その手に先程感じた気がした温もりは感じられなかった。
「まさか私が…いいえ。私よりも、ミアちゃんが選ばれたことに納得がいかなくてね。…神様はなんて残酷なのかしら。あんな子を危険な目に合わせるなんて、絶対許さないわ」
ルーナの声は怒りを滲ませていた。きっとこの館のどこかにいるのであろうミアも、動揺を隠せないでいることだろう。
「……私はしっかりあの子を守ってみせるわ。だからニコラス。…どうか私の帰りを待っていて頂戴」
優しいほほ笑みで、優しい声色で、優しい眼差しで自分を見つめるルーナ。今のニコラスに出来ることは、治療することでも、安心させることでもない。…彼女のこの寛大な愛を、受け止めることだけ。
「えぇ…勿論です、ルーナ姉さん。貴方の帰りを待ってます」
「ふふ、ありがとう」
クスクスと笑う目の前の女性は今しがたゲームに選ばれた人と思えないほどに落ち着いていて、穏やかだった。
『それじゃあ今日はゆっくり休んで明日に備えてね!』
そう言ってアーテルの声は聞こえなくなった。
「……えぇ、絶対に、守ってみせるわ。だって私……皆のお姉ちゃんだもの」
ルーナはぽつり、そう呟いた。
※この創作はフィクションです。
実在する団体・個人とは関係ありません。
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