ぐす、ぐすっ。と啜り泣く声だけが響く部屋。朝日は今日も変わらず部屋を煌々と照らしているのに、この空間全体は昨夜と変わらずどんよりと重たい空気のままだった。
ベッドの中、シーツに顔を埋めて泣いているイソラに、ミヤはただ寄り添うことしか出来なかった。こんなに悲しそうな彼女の姿なんて見た事がなかったからどうしたらいいか分からなかった。
昨夜。ニコラスの姿をしたアーテルと出会った時。イソラを酷く深く傷つけるアイツの言葉を思い出しただけで、ミヤの胸にふつふつと怒りのようなものが湧き上がってくる。
それと同時に、ニコラスの身体に触れた時のことも鮮明に思い出せる。彼の体はまるで氷のように冷たく、まさに生きている人間のものではなかった。アーテルが奪ったものの大きさをひしひしと思い知らされる。
ミヤはきゅっと手を握り締めイソラの方へと向き直った。
「…イソラ、………大丈夫?…じゃ、ないよね…」
イソラからの返事はなく、ただ布と布が擦れ合う音が鳴るだけだった。
彼女へどう触れたらいいのか分からない。どう接したらいいのかわからない。こんなゲームが始まる前は上手くできていたのに、沢山失って、傷ついた今じゃどうしたらいいのか分からなかった。心がモヤモヤして、きゅっとして、苦しかった。
このまま部屋を出ていってしまおうか。そうしたらきっと自分もこんなに悩まなくて済むんじゃないか。そうしたらきっと、楽なんじゃないか。
「……………ううん そんなの だめ」
ミヤはそうぽつりと呟いた。
わからないこの感情から、この場所から、逃げたいと思った。でもこれ以上、逃げては行けないと思った。だって、今ここで逃げてしまったら、あの時自分を大事な家族だと言って手を伸ばしてくれた少年の気持ちを踏み躙ってしまう気がしたから。
(…ミヤは、みんなの家族。みんなはミヤの家族。大切で、大事な、優しい家族。……まだその"大切"という感情の全ては分かっていないけど。でも、これだけは確か。)
自分が傷つき絶望のドン底にいた時でも、目の前で眠るイソラは決して自分を見放さなかった。いつでも彼女は優しい愛で包み込んでくれた。
…だから自分も、彼女がしてくれたように。彼女を見放さない、もうこれ以上逃げたりしない。目も背けない。ミヤはそっとイソラの眠るベッドに腰掛けて優しい声で言った。
「…イソラ ミヤ、ずっとそばにいるよ。イソラが大丈夫になるまで、ずっとずっとミヤが一緒にいてあげる。約束だよ」
その想いは、言葉は、イソラに届いたのだろうか。届いていたらいいな。なんて考えながら、ミヤは彼女へ優しく寄り添うのだった。
◆✝︎◆
「………おい ラーナ」
「!ロゼちゃん」
廊下を歩きどこかへ向かおうとしていたラーナを背後からロゼが呼び止めた。ラーナがくるりと振り返りロゼの方を見ると、彼女はどこか険しい表情でラーナを見つめていた。
「何かあったの?」
「……いや。気になることがあってさ」
ロゼはそう言うとどこか迷ったように目線を落とす。ラーナはそんな彼女の元へと近づき、彼女と目線を合わせるように屈む。
「なに?僕に言ってごらん」
そう優しく微笑むと、ロゼはチラリとラーナの顔を見たあと……またどこか居心地の悪そうに目線を逸らした。いつまでもこうしている訳には行かないと判断したのだろう、ロゼが口を開いた。
「………ラーナ、お前あの時何でニコラスを、……アーテルを追おうとしたイソラのこと止めたんだ?」
ロゼは同じ目線で自分を見つめるラーナにそう問うた。予想していなかったのだろう、ラーナはその問いを聞いてキョトンとした顔を見せた。
「何でって…そりゃあ、何されるか分からないからね。あんな状態のイソラちゃんをあのまま行かせたら危ないと思ったんだ」
「そりゃあ、まぁ、…わかるケド………」
ラーナの返答は妥当なものだった。あのまま彼女を放っておけば何されるか分からない。もっともな答えのはずだった。…だけどロゼは何故かそれに素直に納得することが出来なかった。
「…………じゃあ、あの時…神父がロボットだってわかった時、何でお前だけ普通な顔してたんだ?」
「…普通な顔?」
ミヤが暴れたことで神父の正体がわかった時、あの場にいたロゼとイソラとミヤは確かに彼の姿を見て酷く驚いた顔をしていた。だけど何故かあの時、ラーナだけは表情を変えることはなかった。普通今までずっと一緒にいた人が人間ではなかったと知ったら、もっと驚いた顔をするものじゃないのか。
それよりも、ラーナのことだから寧ろ警戒して自分たちを守ろうとするんじゃないかと。あの時ラーナは神父の姿を見て、表情を変えることもなく何もする事はなかった。それに何だか、違和感を覚えた。
「………ロゼちゃん、なんだかまるで僕を疑ってるみたいだね」
「!」
ラーナがロゼを見つめながらそう言った。その言葉にパッとロゼが顔を上げる。ラーナはいつもと変わらない優しい目で自分を見ていた。
ロゼは、少し悩んだ末に
「………………ラーナ、お前何か隠してることとか、あるんじゃねーの」
ハッキリとそう言った。対するラーナは特に表情に変化はなく、ただじっとロゼを見つめているだけだった。
「オレは別にお前と違って家族のためだ、とかそんな正義感はないし…今でもまだ、自分の為に…自分の願いを叶えたいって思ってる。…けど、あんな風になったイソラとかミヤの姿見てっと、…調子狂うっていうか………なんか嫌なんだよ」
そう言うとロゼはきゅ、っとラーナの服の裾を握った。ロゼにしては珍しいその行動に、ラーナは動揺を見せることもなく彼女の様子を伺っていた。ロゼはバツが悪そうに、けれどどこか縋るような声で言う。
「……ラーナ、もし何か知ってんなら教えろよ。そしたらアイツらの為に少しぐらい何かできるかもしれねーし……神父たちのことでも、アーテルのことでも、ここのことでも何でもいい。…お前なら何か知ってんじゃねーのかよ」
真っ青に澄んだ青空のような瞳と、グレーに曇った曇天のような瞳にじっと見つめられる。ラーナへ向けられた彼女の瞳は様々な感情に揺れ動いているように見えた。暫くの間それをじっと見つめていたラーナは、ふっと優しく笑った。
「ロゼちゃんがそんなに優しい子だなんてビックリだな、やっぱり君はとっても良い子だね」
「なッ…うるせーっ、そーゆーのいいからっ…」
クスクスと笑うラーナに、無意識に張り詰めていた体から力が抜ける。不服そうな様子でロゼはラーナを睨む。
「でも…生憎だけど僕は何も知らないんだ。」
「な、…それ本当かよ」
「あぁ 本当だよ。どうしてこんな事になったのかも分からないし、アイツらが何者なのかもわからない。………君が期待してた言葉をあげれなくてごめんね」
ラーナは心底申し訳なさそうな顔でそう言った。ロゼは彼に言葉に食い下がろうとするものの、ラーナのその表情があまりにも寂しげに見えたものだから言葉を詰まらせる。
「けど、君の家族を想う気持ちはよく伝わったよ。僕も君と同じ気持ちだから」
ラーナはくしゃくしゃとロゼの頭を撫でた。それにわっ、と声を漏らすロゼ。
「……僕も家族みんなを守りたいと思ってる。それはイソラちゃんやミヤちゃん、ルーナちゃんにチェカちゃんだけじゃなく……ロゼちゃん、君のこともだ」
優しく細められた金色の瞳がこちらを見る。自分には眩しすぎるくらいの慈愛に満ちた瞳だった。その瞳に、どこにも翳りなんてないはずなのに
「だから僕がみんなを救ってみせる。これ以上みんなの苦しむ姿なんて見たくないから。僕にはそれが出来るから。…約束するよロゼちゃん、僕が必ずみんなを助けるから」
どうしてかその言葉がロゼの中でやけに引っかかった。こんなにも穏やかな表情をしているのに、なぜだかそれを見て安心することが出来なかった。
自分の頭を優しく撫でた後、そのまま去っていこうとするラーナの手をロゼは咄嗟に掴んだ。そしてゆるりと振り返ったラーナを見つめながら、ロゼは言う。
「………ホントに、信じてもいいんだよな ラーナ」
そんな彼女の瞳を見て、ラーナもまた緩く微笑む。
「勿論だよロゼちゃん」
…ロゼにはそれ以上どうすることも出来なかった。彼の笑顔も返事を聞いたあと、ゆるゆるとその手を離す。ラーナはそんなロゼを安心させようとふっと笑みを見せたあと、彼女に背を向けどこかへと歩き去っていった。
……常に聡明であったラーナなら、きっと何か考えがあるのだろう。今は変に勘ぐるよりも、彼を信じた方がいいのだろう。…だけど、この胸のざわつきは何なんだろう。どうして彼の言葉を聞いて、こんなにもざわざわと騒がしいんだろう。
去っていくラーナの後ろ姿を見つめながら 未だ不安は払拭できないままだった。
◆✝︎◆✝︎◆
静けさの増した真昼間の廊下をとぼとぼと歩く。いつかの賑やかさはどこなもなく、それが今のこの現状が現実である事を無情にも突きつけてくる。
…ああ、私たちは本当にもう戻れないところまで来てしまったのね。そう考えながらルーナは長いその廊下をゆっくりと歩く。
今更後悔した所で意味が無いことを知っている。私は自分の欲に駆られ家族の命を手にかけようとしたのだから。結局私は、何よりも自分のことが一番大事な、弱くて愚かな女だから。あの子の死を、あの子達の死を悲しむ資格なんてないことは分かっている。
…でも。それでも悲しみに歪んだあの子たちの顔を見て、悲鳴を聞いて、散っていく命を見て。…心が痛いだなんて。
神様はどれほど残酷なのかしら。いっそこんな気持ち奪ってくれればどれほど楽だったか。…なんて。
ルーナには、叶えたい願いがある。望んでも望みきれない、欲しくてたまらないものがある。だから自分はその為に心を捨てた。そのはずだった。…目の前で潰れた小さな命を見て、心をすり減らす家族の姿を見て、今更こんな感情抱いたって仕方が無いのに。
心を捨てきれないことを恨みながら、ルーナは進むことをやめない。だって振り返ってしまえばきっと、自分の犯した過ちに潰されてしまうから。止まってしまえばきっと、後悔に足を掬われて溺れさせられてしまうから。
「……………………ごめんなさい ミア」
届かないその懺悔は自分の為か、彼女の為か。それに答えてくれる人などいなかった。
「…?…あら…?」
その時、ルーナはふと目の前の部屋の扉が開きっぱなしになっていることに気づいた。その部屋は過去、まだここに来て間もない頃に1度だけ入ったことのある部屋……
「…サビクとチェカの部屋、…よね?」
開け放たれた扉からは、ヒューヒューと隙間風の唸る音だけが聞こえた。そしてそれと同時に、僅かながらに人の気配も感じる。それ以外の音は何も無かった。…中に誰かいるのだろうか?
ルーナは恐る恐る、ゆっくりと部屋の方へと歩を進める。別に何を恐れている訳では無いが、なんだか少し、嫌な感じがした。
「…ねえ、誰かいるの?」
そうして、ルーナが部屋の中へちらりと顔を覗かせた時。
「…チェカ?」
部屋の中には、チェカが1人佇んでいた。
「こんな暗い部屋で何をして」
ルーナがそう言って彼女の元に近づこうとした時
カーテンによって遮られた太陽の光が、チェカの手に握られた銀色の何かをキラりと反射させる。
そしてその光が、チェカの肌を伝ったあと
真っ赤な何かが、どぷりと溢れて
ルーナは、
「ッッチェカ!!!!!!!!」
…ほぼ無意識にチェカの手を強く叩いていた。
そして叩かれたチェカの手のひらから落ちた"銀色のナイフ"には、今しがたついたのであろう真っ赤な血液がべとりと付いていた。
「チェカっ、何をしているの!!?」
ルーナはチェカの肩を乱暴に掴みこちらを向かせる。…ばちりと目が合ったチェカの瞳はとうに生気を失っていた。彼女の手首からはどくどくと血が溢れていて、容赦なくチェカの真っ白な服を赤く汚す。
「ああっどうしてこんな事…っ!」
溢れる血の匂いにズキズキと頭が痛む。記憶の底から何かの叫び声が聞こえた気がするが、今はそれよりも止血する方が先だとルーナは近くのベッドシーツを引きちぎる。
「………………………なんでとめるの?」
舌っ足らずな声でチェカが口を開いた。その言葉にルーナはぴくりと動きを止める。
「…チェカ、わるいこだよ?自分のために、家族のみんなをだましてた。ルーナのこともだましてた。お願いごと叶えるために、セシリアのことも、たくさんたくさん傷つけた。サビクにも嫌われて、おいてかれちゃった」
「騙して、傷つけて、裏切って、…そしたらみんなみんな無くなっちゃった。チェカの一番大切だったおにいちゃん、いなくなっちゃった。叶えたいお願いごともなくなっちゃった」
「ここにいたってどうしようもないの、だからチェカ…サビクと、セシリアのとこにいきたいの。2人に会って、ごめんなさいってして、仲直り、したいの。……………なのに、どうしてとめるの ルーナ」
色を失った瞳がこちらを見つめてそう言った。とうに生きる理由を失った彼女はまるで人形のようだった。
…"何故止めるのか"と問われ咄嗟に言葉が出なかった。確かの今ここで彼女の自死を止める理由なんてない。寧ろ争わずして人数が減る方が、願いを叶える為にもいいハズだから。
……………でも、それでも彼女を止めるのは。あの時救うことが出来なかった少女への後悔からか。それとも、許されたいからか。…分からないけれど。
ルーナは迷うことなく、引きちぎったシーツを丁寧にチェカの腕に巻いていく。じんわりと滲む赤が嫌な記憶を呼び起こそうとする。それを見ないようにしながら、ルーナは呟いた。
「私がそうしたいからそうするの。そう、きっとこれはあなたの為じゃなくて、………私のわがままだわ。」
ルーナのその言葉にチェカは何も言わなかった。手首に巻かれたシーツをきゅっとできる限り強く結ぶ。ニコラスほど上手くはできていないものの、取り急ぎの応急処置にはなっただろう。
「…………ここで待っていてチェカ 今人を呼んでくるわ」
ルーナがそういうと、気力を失ったチェカは力なくベッドへと腰掛けた。そのベッドはチェカ1人が眠るにはあまりにも大きく、居なくなった笑顔の眩しい彼のことを連想させる。
きゅ、と唇を噛み締めながら、ルーナは床に落ちた血みどろのナイフを拾う。チェカがまた血迷わないように。
そうしてチェカが動かないのを確認したあと、ルーナは早足に部屋を後にした。
道中、ナイフをキッチンに戻した後、ルーナは急ぎ足で人を探し回った。あれほどの傷を治療するには自分一人では無理だ。かといってニコラスがいないことは昨夜ロゼから聞いた。今この状況で頼れる人といえば、1人ぐらい。
脳裏に思い浮かんだ青年の姿を探すべく、ルーナは館を回った。どくどくと脈打つ心臓が今だけは鬱陶しく感じた。
その時。ふと、向こうの方に人影が見えた。それが誰なのかは認識できなかったものの、その人はひとつの扉の中へと入っていった。
ルーナは急いでそれを追いかける。そして、その扉を目にしたと同時にルーナは大きく目を見開いた。
「…こんな真っ黒な扉、あったかしら?」
その部屋の扉は禍々しいほどに真っ黒だった。こんな場所は見た事がないし、勿論訪れたことなんてない。だけど今は一刻を争う状況、迷っている暇などない。
ルーナは僅かばかりの躊躇のあと、その扉を開く。ギィ、と音を立てて開かれた扉の先は真っ暗でよく見えない。地下へと続く階段からは身を凍らせるような冷たい風が吹いていた。
不気味なその空間に恐怖を感じながらも、ルーナは引き返すことはせず階段を降っていく。とにかく今は人を呼んで、治療を手伝ってもらう方が先だから。
……地下の中は真っ暗だった。無駄に広い空間にはろくな物は置いておらず、それこそ人が出入りするような場所ではなかった。
「…けど確かにさっき誰かがここに入ったはず………」
ルーナはそう呟いて辺りを見渡した。
すると、奥の方に別の部屋へと通じているのであろう道を見つけた。先程ここへ入っていった人物はこの先にいるのだろうか?より一層禍々しい雰囲気をか持ち出すその部屋の先へ、ルーナは恐る恐る歩を進めた。
ルーナは隣の部屋を覗き込むようにひょこりと顔を出した。そこには人はいなかったが…………彼女はそこで見たものに目を丸くする。
「………あら?何かしら、ここ…」
その部屋にはいくつもの寝台が置かれてあった。その上には暗くてよく分からないが、黒い袋のようなものに包まれた何かが寝かされてあった。
「なんだか不気味…それに少し…変な匂い…?」
ほんの僅かだが、この空間には何やらおかしな匂いが漂っていた。埃臭さと混じったそれが何の匂いなのかは分からなかったが、その不快さがルーナの心の不安を煽る。
「………だめね、とりあえず戻って…」
そう、ルーナが踵を返そうとした時。
「……………?」
寝台に寝かされた袋が一つだけ、開いているものがあった。
本当はそんなこと気にしている暇なんてない。しかしルーナの足は何故か自然とそちらの方へと向かっていた。
コツ、コツ、コツ…と足音が響く暗闇の空間。とくとくと脈打つ心拍は次第に早くなっていく。それが好奇心によるものなのか、はたまた別のものなのかは分からない。
ルーナは、開いた袋が寝かされた寝台の前までやってきた。…こちら側からでは中身がよく見えなかった。
位置を変えて、開かれた袋の隙間の近くに立つ。パッと見ただけでは真っ暗でよく見えない。
「…何かの食材、とか、かしら………?」
そう言ってルーナは開きかかった袋へ手をかけて、それをずるりと引っ張った覗き込んだ。
すると、
「_______っひ」
その中に眠っていた、"何か"と目が合った。
「っっっきゃあああああああああああああああああああ!!!!!!」
中に入っていた"もの"を見た瞬間、ルーナは甲高い悲鳴をあげて後ろへ後ずさった。ゾワゾワとした感覚が背筋を這う。
あれは何?一体何がどうなっているの?だってみんな居なくなったはずじゃない、どうしてここに、こんな場所に、
家族の、死体、が ?
「___覗き見なんて悪い子だね」
「っぇ?」
その時、暗闇に交じるようにして背後からルーナの元へヌッと誰かの手が伸びた。そしてそれは、ルーナの口をガッと押さえつけた。
「っんん、んんんんっ!!?」
「しーー…あんまり騒ぐと誰かが来ちゃう」
何者かがわからない恐怖と口元を押さえつけられた不安によりルーナはパニックに陥る。がむしゃらにその腕を引っ掻いた。
暴れて振りほどこうにも相手の力が強くその手を振りほどくことは出来なかった。
「(ッ殺される_______)」
ただ、直感が悲鳴を上げるだけだった。
「…ああ、アレを見たんだね。」
恐らく寝台に眠る死体のことを言っているのだろう。…頭に鳴り響く警鐘がガンガンと喧しい。背後にいる何かが自分を離してくれる気配はない。このままじゃ、このままじゃ
「………ねえルーナ 君に一つだけいいことを教えてあげる」
その腕の主は動じることなく、穏やかな声でルーナの耳元で囁いた。その声を聞いて、ピシッッと全身が固まる。
自身の耳元で囁く声は、今まで幾度となく聞いてきた聞き慣れた声。…………嘘、嘘よ、どうして?そんなことあるはず、
「あのねルーナ 君は家族を殺したことを後悔してるのかもしれない。死んでいく家族を見て心を痛めたのかもしれない。でも君がやってきたことは何も間違ってないんだよ」
口を塞いでいた手がスルスルと肌を伝い移動して、ルーナの真っ白な腕をそっと掴む。
「君は家族を殺したんじゃない 解放してあげたんだよ。この地獄から」
「…………か いほう ?」
優しい声がルーナの心へ語り掛ける。それはまるで悪魔の囁きのようで。
「そう 君は救ったんだ 彼らを襲う苦しみから、悲しみから、辛さから」
「すくっ た…」
頭に流れ込んでくるようなその言葉。添えられていただけの手が、ルーナのサラサラとした金色の髪を撫でる。
「だから君は何も悪くない 誰も何も間違っていない これから君が行うこと全部、全て正しいことなんだよ」
腕を掴んでいた手に引っ張られ、ゆっくりとルーナは後ろへ振り返る。
「ルーナ」
そして彼女は暗闇の中で 目の前の人物とバチりと目が合った。
「君は自分がすべき事を 分かってるだろう?」
そうして優しくふわりと微笑んだソレは、紛れもなく、あの_____
「あ」
◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆
ぱち、と目が覚める。重たい体を起こして目を擦ると、何だか足元に人の気配がした。ゆったりとそちらを見やると、そこにはベッドに顔を伏せて眠るミヤの姿があった。暗くなった部屋の窓からは月明かりが差し込んでいて、眠るミヤの姿をぼんやりと照らす。
「……………ミヤちゃん、……ずっと私のそばにいてくれたんだね…」
イソラはそう言って彼女の頭を優しく撫でる。…シーツの中で確かに聞こえた、ミヤの優しい誓いの言葉を思い出す。それは彼女が与えてくれた、暖かな優しさ。
ミヤを起こさないよう、ゆっくりとベッドから出ると、イソラは靴も履かずに裸足のままこっそりと部屋を後にする。
夜の廊下は真っ暗で、普段は蝋燭を持っていないと何も見えないぐらい。だけど今日は天気が良かったおかげか、月の光が何に遮られることもなくイソラの進む道を照らす。
…玄関前を通り過ぎる。
そこはかつて、自分の願いよりも家族の命を選び守り抜いた少年が死んだ場所。
…物置部屋を通り過ぎる。
そこはかつて、希望を失った片目の少女に、歪んだ希望を与えてしまった場所。
…ずらりと窓が並んだ廊下を通り過ぎる。
そこはかつて、誰よりも優しく家族思いだった1人の純白な青年に、身に余るほどの優しさと希望を与えられた場所。
思い出を、記憶を、なぞるように歩いていく。そしてたどり着いたその場所は、屋根裏部屋へと繋がるハシゴ。
イソラはそれに手をかけ、ゆっくりとゆっくりと登っていく。ギシギシと軋む木が響く。
ようやく登りきった屋根裏部屋は、思ったよりも綺麗だった。中心の壁に取り付けられた窓からは大きな満月が顔を覗かせており、じっとイソラのことを見つめているようにも見えた。
「…ここで、ひかりくんは、死んじゃった、…んだよね」
呟いたその言葉は空虚に響くだけ。…先逝ってしまった家族たちの歩んだ道のりを辿りながらたどり着いたこの場所は、イソラの最期にピッタリなのではないだろうか。
彼女はゆっくりと、軋む床の上を歩き、窓の方へと近づいていく。まるで死神に誘われるような、それとも天使に導かれているような、そんな気分。
窓の前までやって来ると、彼女は迷うことなく鍵を開け、バンッと窓を開ける。ビュオ、と入り込んだ風が彼女の空色の髪をなひかせる。
…ごめんね、ミヤちゃん。ずっとそばにいるって言ってくれたのに。ごめんねサビくん、何もない私のことを、幸せを運んでくれる青い鳥だなんて言ってくれたのに。ごめんね、ニコラスお兄ちゃん…お兄ちゃんが苦しんでたのに、私、気づいてあげれなくて。
目を閉じれば沢山の後悔が蘇ってくる。あの時ああしていれば、こうしていれば、なんてこと今更考えたってどうしようもないけれど。
…でも、もうすぐきっと会いに行ける。そうしたらいっぱいいっぱいみんなにごめんねって言うんだ。許してくれなくてもいい、伝えれなかったこと、全部全部伝えるの。そして皆でまた、一緒に。
目を開けば夜空には満点の星が散りばめられていて、今まで何度も見てきた同じ星空なはずなのに、なぜだか1番美しく見えた気がした。
窓の縁へ乗り上げる。下を覗けば目眩がするほどの高さ。ここから飛び降りればすぐにでも全部終えれてしまうのだろう。
これで全部、終わる。私も悲しい思い、しなくていいんだよね。みんなのところに、行けるんだよね。…きっとこれで、いいんだよね?
ぎゅっと目を瞑る。美しい夜の景色に心を惑わされたくないから。目が眩むような死の気配に決意を揺るがされたくないから。そうしてイソラはフウ、と息を吐く。あとは、前へ踏み出すだけ。
これで、おわり。ぜんぶおわり。私はやっと空を飛ぶの。
そうしてイソラは迷うことなく
窓の外へと身を投げ出した。
これで、みんな、おしまい だね
………しかしその時
ビュオォオッ。
「っっきゃ!?」
突如として、外へと身を投げ出した彼女を押し返すような強い風が吹く。
まるで跳ね返されるようなそれに抵抗もできず、窓の外へ投げ出されたばかりのイソラの体は容赦なく部屋の中へと戻され強く尻もちを着く。
まるで威嚇するかのようにバタバタとカーテンが風に煽られ大きな音を鳴らす。それに呼応するかのようにドクドクと鳴り止まない心臓が、冷たい風が、床へ打ち付けじんじんと痛む体が、イソラを現実へと引き戻す。
………ああ、ああ、どうして。私はなんてわがままなんだろう。体に走る痛みを感じて、死を目の前にして、
今更"怖い"だなんて。"死にたくない"だなんて!
「……ッぅ、ううう、うっ」
大事なもの、みんな失った。助けたかったものも、幸せになって欲しかったものも、みんな壊れてなくなっちゃった。こんな所にいたって苦しいだけ、つらいだけだから。もう一度、ここから飛べばいいだけなのに。
「ッなんで、足がうごかないのっ…!!」
目から零れる涙が止まらない。震える手足が言うことを聞かない。止まってしまえばいいものを、ドクドクと脈打つ心臓は、止まることを許してくれない。
地面へ顔を伏せ泣くイソラ。彼女の死を、まるで引き止めるかのように舞った強風は今や穏やかな凪いだ風と変わっていた。世界そのものが、1人嘆く小さな少女のことを、見守っているようだった。
「…………これが、正解だと、おもってたのに わたしどうしたらいいのかなあ」
イソラはそう呟いた。死んでしまえば何もかも楽になると思った。…だけど、うごかない身体はそれを強く拒絶しているようだった。
全部なくしてしまったこんな世界で生きていく勇気なんて、強さなんて、私にはない。そう思った。
「…?」
…その時、イソラはふと、風にひらひらとなびく1枚の紙切れを見つけた。それはカーテンの裏に隠れるように壁に貼り付けられていた。イソラは、覚束無い足でその紙切れの元まで歩く。
「…これ……………」
メモを取ると、そこには何やら文字が書かれてあった。イソラはシスターの教えのおかげもあってか多少文字を読み書きすることはできた。そのメモには丁度、イソラが読める程の簡単な文字が記されていた。
誰が書いたのか分からないそれを、イソラは涙で濡れた視界でじっと読み進めた。…そのメモにはこう書かれてあった。
『これを読んでいる誰かへ。
僕はもうすぐここから飛び降りて死にます。その前に、僕が知っていることをできる限りここに書き記そうとおもいます。いつかこれを見る誰かに届くように願って。』
「…これって、もしかして……ひかり、くん?」
乱雑なその文字は、まるで焦っているような、そんな文字だった。
『僕が救済ルールについての話をミヤさんにしたのは本当です。僕が僕の意思で彼女に話したんです。…アシュさんが死んでしまったのは、きっと、僕のせいだと思います。…だけどこれだけは信じて欲しい、…僕は騙されていたんです。救済ルールは2人の命を救えるものだということを』
『…それと。この世界が普通の世界ではないという話も聞きました。詳しくはぼくにも分かりませんが、この場所は僕たちが元々居た世界とは大きく違った世界になっていて、僕達はそこで踊らされているだけだと…逃げ出したいなら言う事を聞けと。』
『…逆らえばきっと殺されると思って、怖くて誰にも言えませんでした。だけどもう時期僕は死ぬ。…だけどこの秘密を誰にも伝えないまま、何も出来ないまま死ぬなんて嫌だ。だからどうか、これを読んでいるあなたに、託したい』
『僕は裏切り者をしっています 全てを知っておきながら、家族をわざと死に追いやるその人のことを。だから、どうか気をつけてください、あの人は、貴方たちを本気で殺すつもりです。あの人の、裏切り者の、名前は__』
「………っへ?」
最後に書かれた、その1文を、読んだ時。
『____やっほーー、みんな!つかの間の休息はどうだったかな〜?次の第二ゲームについて発表に来たよ〜!』
キィンという甲高い音と共にあの男の声が響き渡った。その音にきゅっと身を強ばらせ、咄嗟に紙をくしゃりと握ってしまう。
『さて、それじゃあ皆さんお待ちかね!第2ゲーム一戦目、記念すべき最初の対戦ペアの発表をするよ!』
ドキドキと、胸が鼓動する。
『次のゲームの対戦ペアは〜、』
『じじゃん!ラーナくんとロゼちゃんでーす!』
その言葉に、ヒュッと息を飲む。
『今残ってる子供たちは1巡目のゲームを乗り越えた子達だからね、きっといいもの見せてくれるんだろうなぁ〜、楽しみにしてるよ!2人とも!それじゃ、今夜はゆっくりお休み〜!』
くつくつと楽しげに笑うアーテルはそのまま上機嫌な様子でプツリと居なくなった。
…イソラの心臓が、どくどくどくと喧しく鼓動する。突然響いた悪魔の声のせい?自分が選ばれなかった安心?違う、そのどれでもない。
「……っ伝えなきゃ、ひかりくんが残した、全部…」
イソラはくしゃりと紙を握りしめて立ち上がる。…死にたいと思っていた。家族も希望も大事なものも…全てを失った世界からいなくなって、楽になりたいと思っていた。
だけど今ここで私が死んでしまったら、ひかりくんが命を捨ててまで守ったものを、残った私たちに託してくれたものを無下にすることになってしまう。…それだけはダメ、絶対にダメ。
ひかりくんが命を張って守ったものを、無駄になんてしたくない。こんな私だけど…まだ、私にだって出来ることはあるはずだから。
「……ごめんね、サビくん、セシルちゃん、ニコラスお兄ちゃん、みんな。……ごめんなさいって謝りに行くの、もう少し先になりそう」
顔を濡らした涙を拭って、月光が照らす窓に背を向けてイソラはハシゴの方へと歩いていく。
縁取られた夜が、カーテンを揺らすそよ風が、煌びやかに光る星空は、彼女のその後ろ姿を見送っているようだった。
※この創作はフィクションです。
実在する団体・個人とは関係ありません。
※3L要素(異性愛・同性愛描写)が含まれる可能性があります。
※暴力・流血表現、ロスト、死ネタ、R指定要素あり。
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