どうして?
僕は止めたのに。
救おうとしただけなのに。
どうしてあの子は僕の手を取らなかった?
僕を信じてさえくれれば、僕があの子を救ってあげれたのに。
キラキラと窓から差し込む光が祝福するかのようにラーナを照らしていた。
このゲームの勝利を。救済を過ったが故の結末を。
だけどラーナはぴくりとも動かなかった。まるで凍りついた死体のように、ネジが切れた人形のように。
…彼がそうしている間。一体、どれほどの時が流れたのだろうか?
「…………ラーナ…?」
突如。背後からギシギシと床の軋む音がしたかと思えば、ロゼが恐る恐る、ひょこりと屋根裏部屋へ顔を覗かせていた。
やっと見つけたラーナの背中を見て安堵するのも束の間。全く動かない彼の姿と、開け放たれた窓から吹き込む風に揺れるカーテンを見た瞬間。ロゼの胸をゾワゾワとした嫌な感覚が這った。
「……おい、ラーナ、」
ラーナは振り向かない。ロゼはゆっくりと、ゆっくりと、彼の方へと歩を進める。
「そんな所で何やってんだよ…どこか怪我でもしたのか…?」
ギシ、ギシ、と木の軋む音がする。
僅かにすくみそうになる足に力を入れて、ついにロゼはラーナの近くまで歩み寄った。重く項垂れた彼の表情はこの目で確認することが出来なかった。
「………それに、」
そこから先の言葉が、喉に詰まって出てこなかった。胸を支配するこの黒霧の正体に気づきたくなかった。だけど、見て見ぬふりなんて出来ないこと。
ロゼは、乾いた唇で、不安に急き立てられたような、緊張した声で問う。
「……出雲の奴は どこいったんだよ」
バサバサバサッ、とカーテンが大きく風に揺れた。大きなその音は、何も言わないラーナに代わって返事をしているように聞こえた。
ぐるぐると縺れる思考回路が正解を導きだそうとする。ロゼの心臓はトクトクと忙しなく脈打つだけ。
ロゼは、引き込まれるように、何かに引っ張られるように、窓の方へと歩を進める。
1歩、2歩、3歩、と近づく度に、風の冷たさを肌に感じる。
そして窓の前へとたどり着いた時
不安に波打つ身体を抑えながら
ロゼは、
窓の下を見た。
そこには
「…………………………あ?」
何も、いなかった。
…しかし何故か、ここから下の地面だけは赤黒く染まっていた。
「何だ…?一体ここで何が起きて、」
「ロゼちゃん」
背後から聞こえたその声にびくりと震えたロゼは、恐る恐る、振り返った。
「…降りよう。もう全部終わったから」
ラーナはそう言ってぎこちなく微笑んだ。その笑顔の意味が、彼が抱いている感情が何なのか…ロゼには分からなかった。しかし何だかその笑顔に、違和感を感じた。
「皆が心配するよ、早く行こう」
ラーナはそう言ってロゼの手を優しく取った。ロゼは伺うようにラーナの顔を見上げるが、彼はとても落ち着いてるように見えた。
"ここで何が起きた?"
"出雲はどうなった?"
頭の中でぐるぐると回るその問いは、ついぞ言葉になることは無かった。ロゼはラーナに手を引かれるまま屋根裏を後にする。
部屋を離れる間際、風に打たれたカーテンが大きくバサりと揺れた。
✝︎◆✝︎
***
真っ青に澄んだ青い空の下、さらさらと心地の良い風が肌を優しく撫でる。
こんなにも天気が良いとついついうたた寝しちゃいそう。金色の髪を風に揺らしながら、私はそんな事を考えていた。
「おねえちゃん!」
波打つ平原をぼんやりと眺めていると、遠くの方から小さな少女が無邪気にこちらへと走ってきた。少女の手には何かが大事そうに握られていた。
「みてみて!すっごいもの見つけたの!」
「こら、あんまり走ると転んでしまうでしょう」
そう笑って少女のブラウンの髪を梳くように優しく撫でると、少女はくすぐったそうにキャッキャと笑った。
その天真爛漫な笑みはまるで太陽のようで。この場所にある何よりも眩しく見えた気がした。
「それで、一体何を見つけたのかしら?」
「あっ、そうだった!」
私に撫でられるがままに身を寄せていた少女はそう言ってパッと私の方を見上げた。
「ふふふっ、あのね?これはおねえちゃんとだけのひみつだからね?」
「あら、私とだけの?」
「うん!」
「ふふ、わかったわ。私と貴方…2人だけの秘密ね」
私が人差し指を自分の口元へ当てると、少女も同じようにそれを真似してみせた。それが何だかおかしくて、私たちは2人でクスクスと笑った。
「じゃあみててね!」
少女はそう笑うと、大事そうに覆っていた両手をこちらへと差し出した。
私はその中を覗こうと、小さく前のめりになる。
少女がパッと両手を広げた時
そこにあったのは
「………ぇ ?」
ほのかに香る、麻薬の匂いが染み付いた、銀色のお菓子の包み紙。
「……………………ミア、これは__」
「おねえちゃんのせいだよ」
突然、ぐにゃりと世界が歪んだ。心地よいと感じていたはずの風がいつの間にやら不安を煽る不快なものに変わっていた。
「ミアがいたい思いしたのも、苦しいおもいしたのも、つらい思いしたのも、ジャックと離れちゃったのも、みんなみんなルーナおねえちゃんのせいだよ」
少女が ミアが 私を見上げた。だけどその顔は、まるで落書きみたいに、真っ黒く塗りつぶされていて、
「どうして助けてくれなかったの?どうして止めてくれなかったの?どうして殺そうとしたの?ミア とっても痛かったんだよ とってもとっても苦しかったんだよ」
「違 う の、まっ て ミア」
震える体が、唇が、言葉を紡ごうにも、うまくいかなくて、
「つぶれたの ミア ルーナおねえちゃんのせいで ぐちゃぐちゃになって 血だらけになって いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった」
目の前で私を見上げるミアの腕が、手が、足が、首が、体が、メキメキと、ぐちゃぐちゃと音を立てて、潰れていく。
「いたかった。いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかった いたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかったいたかった」
息を飲む。体が動かない。目を逸らせない。振り解けない。逃げられない。
少女が、ミアが、私に両手を伸ばして、言った。
「ね エ るーn お姉 cゃん」
「ど u シて ワタsi を 殺 したの?」
「教eて頂戴よ』
『"エリー"』
*
「ッッッいや"ぁあ"ぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁッッッッッ!!!!!!!!!!!」
ルーナは甲高い悲鳴をあげてベッドから起き上がった。
まるで水中に閉じ込められていたかのような息苦しさに必死に酸素を取り入れようと息をする。ヒュウヒュウと音の鳴る肺はまるで壊れた玩具のようだった。
「ッは、はぁ、ッぅう、ぅ…、………」
大きく呼吸をしながら、彼女は自分の胸を強く強く押さえつけた。ドクドクと忙しなく脈を打つ心臓がうるさかった。
妹の眩しい笑顔が、肉の潰れる音が、骨の碎ける音が、鼻につく麻薬の匂いが、目に焼き付いた赤が、どうにも頭から離れなかった。
"ここにいてはいけない"。
無意識にそう思ったのか、ルーナはフラフラと覚束無い足取りでベッドから立ち上がり、寝室から逃げるように出ていった。
寝室から抜け出したルーナは必死に歩いた。壁を伝いながらも、よろけながらも、懸命に、何かから逃れるように。ずっとあそこにいたら、悪夢に食われてしまうような気がして。
「……!」
その時ふと。階段下…リビングであろう方向から子供たちの話し声が聞こえた。それを聞いたルーナは迷わずそちらへ足を進めた。
もしかしたら今までの全ては全部悪い夢だったのではないかと。自分はずっと悪夢を見ていただけなんじゃないかと。リビングの扉を開けば、いつもみたいに、賑やかな家族たちが待っているのではないかと。
そんな僅かな希望を胸に、家族の元へと向かう足はどんどん早くなっていく。近づけば近づくほどに鮮明に聞こえる家族の声が、ルーナの胸を高鳴らせる。
そうして一段、また一段と階段を降っていくルーナは、途中ぴたりと立ち止まったあと…大きく深呼吸する。
ここを降りれば、いつもの賑やかな家族が居ることを願って。何もかも夢であることを願って。
そうしてルーナは、最後の階段を降りた。
小さな希望と期待に縋って。
◆✝︎◆✝︎◆
突然の事に子供たちは酷く驚いた様子で固まっていた。それもそうだろう、突如階段の方から音がしたと思えば、目の前には今までずっと寝たきりだったはずのルーナが立ち竦んでいたのだから。
「っルーナ!」
ルーナを見るや否や、セシリアは嬉しそうにパッと表情を輝かせた。他の子供たちもまた、心配そうにルーナを見る。
「ルーナ もう具合は大丈夫なの?」
サビクが彼女の様子を伺うようにそう聞いた。…しかしルーナは、サビクの問いに答えることなく固まっていた。
「……ルーナ、ちゃん?」
彼女の異変に気づいたイソラが不安そうな声で彼女の名を呼ぶ。すると目を見開いたままのルーナが辺りを見渡して、言った。
「…………ねえ…………他の、みんなは?」
その部屋にはラーナ、イソラ、セシリア、サビク、チェカ、ミヤ、ロゼ、ニコラスの8人しかいなかった。ルーナは居るはずの家族の姿を探し目線をさ迷わせる。
「……ルーナ、何言って」
「他の子達はどこに行ったの?」
ルーナは、動揺を隠せない様子のロゼの言葉を遮った。
「…ミア、は?」
静寂が返事をする。
「エスピダは?」
ロゼは顔を歪ませ目を逸らす。
「パロディは?」
ニコラスは何も言わない。
「アシュは?」
ミヤの瞳は暗く淀む。
「ひかりは?」
「ルーナ」
ラーナが、錯乱した様子のルーナの肩へ優しく手を置いた。そうして諭すように、穏やかな口調で、ルーナが抱いた僅かな希望を打ち砕く。
「もうみんな死んだんだ、…ルーナちゃん」
「……………ぁ」
その言葉を聞いて、心臓に釘を打たれたかのような強い衝撃を覚えたルーナは、がくりと足を崩しその場へ座り込んだ。
「……ふふ そうよ ね。夢なわけ ない わよね」
彼女は顔を両手で覆い、消え入りそうな、か細い声でそう言った。本当は分かっていた。これが夢じゃないということ。あの時見た悪夢が現実であるということ。ただ、認めたくなかっただけ。
心身ともに疲弊しきった様子のルーナの元へ、心配そうにセシリアが駆け寄った。そしてそんな様子を気にしながらも、イソラはラーナの方を見て問う。
「ねえラーナくん、ひ ひかりくんは…どうなった、の?」
ラーナは先程、"みんな死んだ"といった。だけどイソラを含めここにいる子供たちはまだ、ひかりがどうなったのかを知らされていなかった。
ラーナはイソラの方をゆるりと見た。イソラはきゅっと自分の服の裾を握る。
これを聞けば、ニコラスやルーナの時と同じように、ラーナを傷つけてしまうのが怖くてずっと聞けなかった。
だけど、知らないまま目をそらすのはダメだと思った。向き合う必要があると思った。だから、勇気を出した。
イソラは真っ直ぐラーナを見つめる。
そしてラーナが、口を開いて、言った。
「ああ ひかりくんは死んだよ」
「……………へ?」
予想以上に、ラーナは淡々とそう答えた。ラーナのその言葉に驚いたのはイソラだけではなかった。その場にいた子供たち誰もが一驚を喫していた。
「話すのが遅れてごめんね、みんなの前で伝えようと思ってたんだ。……ひかりくんは死んだよ。窓から飛び降りたんだ。彼を止めようと、救おうとしたけど……止めれなかった」
「っちょっとまてよ!!おかしいだろ!」
突然、ロゼが声を荒らげて立ち上がった。子供たちの視線がロゼの方へと移る。
「確かに窓の外には血の跡はあった、だけどオレが覗いた時窓の下にひかりはいなかったぞ!飛び降りて死んだんだったら、ひかりの死体はどこにいったんだよ!」
ロゼが窓の外を見た時、血痕はあれどそこにひかりの姿は無かった。死体が勝手に歩くわけでもないなら、彼の死体はどこへ行ったのか。
「…………前に、シスターが言ってただろう?"死体が突然目の前で消えた"、って。……ロゼちゃんが見たのは多分、それじゃないかな」
ラーナはそう言った。確かに過去シスターがそう言っていたのは覚えている。しかし、ラーナに抱いた違和感のせいなのか、今のロゼにはラーナの言葉をそのまま飲み込む気になれなかった。
「おいセシリア!お前オレと一緒に出雲を探しに行くっていってたよな?あのあと、出雲に会ったんじゃねーのか!?何か変なこととかなかったのかよ!」
ロゼは、セシリアの方へと指を指した。それに対しびくりと驚いた様子を見せたセシリアは、自分をジッと見つめるロゼの青い瞳に、ほんの少し居心地の悪さを覚える。
セシリアは思い出していた。ひかりが話そうとしていた…家族の中に潜む"裏切り者"のこと。そして、深紅の瞳を燃えさせた、神父のこと。
あの時の神父の様子は普通ではなかった。ひかりの拒絶の仕方も度を超えていた。あの瞬間、何もかもがおかしかった。
…だけど。
「…………………ううん、何も無かった よ」
セシリアはそう言って、緩く首を横に振った。
ロゼはそれを見てまたえも言われぬ違和感を覚える。先程から家族に感じるこの違和感の正体が何なのかはわからないが、兎に角ロゼにとって、ここにいる全員は何だか変に感じたのだ。
「……ひかりくんを救えなかったことは本当に悲しく思ってる。僕ならきっとあの子を救えるはずだったのに。……でも、もう終わったことなんだ。…仕方ないんだよ、ロゼちゃん」
ラーナはそう言った。そしてそれに対して、誰も何も、言わなかった。それが何だかとても、気味が悪くて。
あんなに感情豊かでうざったしいほど家族にお節介をかいていた男が、家族の死をこんなにも簡単に割り切ることに。悲しむ表情は見せど、それに対して家族の誰も反論しないことに。
「……………ラーナ…お前、、何でそんな、冷静なんだよ…皆も何で何も言わねーの…?……お前ら、なんか、変だよ」
今までずっと一緒に過ごしていたはずの家族が、まるで別人のように感じた。言葉には出来ないが、なんと言うか、まるで、中身が空っぽになった人形みたいだと。
「…………もういい」
居心地の悪さを覚えたロゼはそう言うと、逃げるように部屋から出ていった。扉を閉まる音が静寂に虚しく響いた。
「………みんな、もう休んだ方がいいよ。夕飯の支度はオレがしとくから。」
ロゼの背を見送った後、サビクがそう言った。子供達は何も言わなかったが、何人かは足取り重く部屋の外へと向かっていく。
「…ミヤ。ルーナを寝室まで連れて行ってくれますか?僕は少し手の離せない用事があるので」
「……………………うん。…わかった」
ニコラスがミヤにそう耳打ちすると、ミヤは抑揚のない声でそう返事をし、ルーナの手を引いて寝室へと戻って行った。
イソラもまた、フラフラと元気の無い様子で部屋を出ていく。それを見ていたサビクは、近くにいたチェカに1人で部屋へ戻るよう伝えた後、彼女を追いかけた。
そして部屋はあっという間に人気を失った。
◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
イソラはぼんやりと廊下を歩いていた。先程のロゼの言葉が頭から離れなくて、意識は完全に上の空だった。
"おかしい"。ロゼは確かにそう言った。…だけど自分には、何がおかしいのか もう分からなかった。
ひかりが死んだと聞いた時。確かにショックを受けた。どうしてひかりくんがって、心が苦しくなった。だけど、その感情が何なのかが分からなかった。
…あの時、私は悲しかったのかな?苦しかったのかな?つらかったのかな?寂しかったのかな?怖かったのかな?
どうして何も分からないんだろう。こんなにも胸が苦しいのに、何で何も感じないんだろう。私はいつから、こんなに、壊れちゃったんだろう。
イソラは立ち止まって、夕日が沈む窓の外の景色を見た。ゆっくりと落ちていく真っ赤な夕日が、木々の中へと姿を隠していく。
…ゲームに選ばれていないのは自分を含め残り4人。遅かれ早かれ、自分は確実に、誰かと戦うことになる。
だけど考えてもなぜだか実感が湧かなかった。あれほど家族の死を間近に見てきたはずなのに、いざ自分がその場に立つと思うと、何も想像できなかった。
…………家族のみんなを、あんなに優しい子達を、手にかけたくなんてない。
みんなを巻き込んでまで、願いを叶えたくない
……なら、私が全部、諦めちゃえば
みんな 幸せに
「イソラ?」
そんな考え事をしていると、突然。背後から声がした。イソラが驚いて振り向くと、そこには夕日に照らされ朱を帯びたサビクが立っていた。
「!…サビくん」
「どうしたの そんな所で」
彼はこてんと小さく首を傾げた。イソラはふるふると首を横に振って、笑顔を作って見せた。
「あ、えと、ううん、何でもないの。今日は夕日が綺麗だなぁ〜って、見てただけ」
そう言ってイソラは心配そうに自分を見つめるサビクにへにゃりと笑った。サビクの表情は影になっていて分からなかった。
「えっと、私…私、シスターのお手伝い、してくるから!サビくんはゆっくり休んでね」
そう言ってイソラがその場を離れようとした時、サビクが口を開いた。
「無理に笑わないでよ イソラ」
その言葉に、どくりと心臓がはねた。固まったイソラは、サビクの方を振り向くことが出来なかった。
「…ど、どうして?私別に無理してなんて…」
「嘘。オレ知ってるよ、イソラは何かを1人で抱え込んでる時そういう苦しそうな笑顔で笑うんだってコト」
苦しそう?そんなつもりじゃなかった。だって自分はもう何も感じないから。きっと壊れてしまってるから。ただ彼を心配させないように、笑っただけだった。それなのに、どうして、そんなことを言うんだろう。
「…何でもないよ、何でもないの 大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない」
「サビくん、私、もう行かなきゃ」
「イソラ」
「心配かけちゃってごめんね、じゃあ、」
「イソラ!!!!」
逃げ去ろうとするイソラの腕を、サビクが引っ張った。
「そんな顔で言われて放っとけるわけないだろ!!」
「…ぁ、れ?」
こちらを振り返ったイソラは、涙を溢れさせていた。
「おかしいな 私、悲しくなんて、ないのに、何も感じないはず なのに、何でだろ」
そう言ってイソラはごしごしと自分の目を拭った。だけど、どんなに拭っても涙は止まらなかった。
「違うの、わたし こんなつもりじゃ…サビくんのこと、困らせたいわけじゃないのに、ごめん、ごめんね、ごめんね…きっと今酷い顔してるから、私のこと、見ないで欲しい、な」
堪えきれなくなった涙と嗚咽が枷を無くしたように吐き出されていく。目の前の彼にこんな顔を見られたくなくて、イソラは必死に両手で顔を覆い隠す。
「…………ねぇ イソラ。オレ今からイソラに嫌なことするけど 許してね」
サビクが突然そんなことを言った。嫌なこと?一体なんのことだろう。イソラがそう思った瞬間
ふと。心地よい温もりが、イソラを暖かく抱きしめた。
「………っえ?」
驚いてイソラが顔を上げると、目の前にサビクの姿はなかった。
代わりに、自分よりも一回り大きい彼の身体が、イソラを大切に大切に包み込むように抱きしめていた。決して強くもなく弱くもない、優しい力で。
「サビく、」
「イソラは壊れてなんてないから」
「え…?」
わたわたと慌てるイソラに構うことなく、サビクは彼女の背をぽん、ぽん、とあやすように撫でる。
「君がどんなに優しい子か、オレ知ってるよ。妹や弟たちの面倒をしっかり見てくれるとこ。怪我をしたらすぐに手当てしてくれようとするとこ。オレのこういうワガママを拒絶せず受け入れてくれるところも、自分よりもいつも人の心配ばかりするところも。それは全部、君が家族を想ってるから出来ることだろ」
「…今だって家族のことを想って泣いてる。そんな君が、壊れてるわけないだろ。」
「それにねイソラ。イソラはいつも 自分は汚れているからなんていうけど、全然そんなことないんだよ。イソラの存在はいつも、誰かの希望となって、光となって、支えになってるんだから」
彼の言葉が、壊れかけのイソラの心を、じわりじわりとあたためていく。
「…覚えておいて、イソラ」
「君が誰かの幸せを願うように、オレも君の幸せを願ってるんだよ」
何故か懐かしさを感じるその言葉は、イソラの冷えきった心に深く突き刺さった。彼は、いつもと同じ優しい笑みで。愛情を詰め込んだ暖かい眼差しで、笑った。
穢れのない純白が、汚れた少女を包み込む。
違う、違う、違うんだよ。私はそんないい子じゃないの、そんなのじゃないの。私は汚れてるから、壊れてるから。幸せを願われるような存在じゃない。あの時も、貴方を信じてあげることが出来なかった。だから今すぐ目の前の彼から離れなければいけない。なのに、なのに。
「………ぅ、ぅううっ、う」
今は、今だけは。一瞬だけでいい。彼のこの優しさに、ほんの少しの間だけ、縋りたいと思った。
「ッわからない…わからないの、わたし、もうどうしたらいいのかわからないよぉっ…みんな苦しんでほしくないのに、悲しんで欲しくないのにッ…わたし、どうしたらいいのっ…!!」
いつの間にかイソラは、ゆるゆると力なくサビクの背に手を回していて。そして彼女は、悲しみか、苦しみか、切なさか、恐怖か、不安か、苦しみか……或いはその全てか。ぐちゃぐちゃになった感情に任せて彼に泣き縋った。
サビクはそんな彼女の縺れた感情を、小さな悲鳴を、包み込むようにぎゅっと力を込めた。
…何分の間そうしていたのかはわからない。サビクはずっと、彼女が満足するまで、イソラを抱きしめたまま動かなかった。
ようやっと落ち着いたのであろうイソラが彼から離れた時、既に夕日は完全に落ちきってしまっていた。
「…イソラ、落ち着いた?」
「うん…ごめんね サビくん…」
「謝んないでよ オレがこうしたかっただけだから」
彼のえみは相変わらずだった。擽ったさすら覚えるその優しさに、イソラも釣られてほんの少し笑う。
無くなってしまったと、完全に壊れてしまったのだと思っていた感情はまだここにあった。それを彼が気づかせてくれた。…彼は、本当に、すごい人だと思った。
…これからどうしたらいいかはまだわからない。だけど今なら少しだけ、ほんの少しだけ。軽くなった心は真っ直ぐ前を向けるような気がした。
「わたし、いつもサビくんに助けられてばっかだね」
「そんな事ないよ オレはイソラの優しさに何度も救われてるもん」
「ふふ、大袈裟だよ」
「ほんとだってば」
少年と少女の、クスクスという笑い声が静かな廊下に響き渡った。
「…ねえイソラ」
「うん?」
彼がイソラの手をきゅっと握り、慈しむようにこちらを見ながら言った。
「オレが、家族のことを何よりも一番想ってるってこと…忘れないでね?」
そういって優しく微笑んだ彼の姿は、夕日も相まってかとても眩しく感じた。じんわりと感じる温もりにイソラもまた目を細めて笑う。今度は、作った笑顔ではない、自分に出来る最大限の笑顔で。
「…うん、もちろんだよ、サビくん」
穏やかな時間が流れる夕暮れの廊下。2人微笑ましく談笑する時間。
こんな時間がずっとずっと続けばいいと願うのは…些か、贅沢が過ぎるだろうか。
…彼の笑顔を見つめながら、イソラはそんなことを考えるのだった。
◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
みんなが居なくなった部屋の中。1人残ったセシリアは、ソファに身を沈め、さっきのロゼとの話を思い出していた。
あの時。自分は家族に、…ロゼに嘘をついてしまった。
本当は神父の様子がおかしいことを知っていた。ひかりが何か重要なことを伝えようとしていたことも、勿論知っていた。
…だけど、それを知るのが怖かった。その事を伝えたら、どうなってしまうか、考えたくなかった。
大好きな家族が疑われるのは嫌だった。大好きな家族の中に、悪い人がいるだなんて、信じたくなかった。知りたくなかった。見たくなかった。
…ひかりはあの時、勇気をだして、自分に大事なことを伝えようとしてくれていたのに。自分はそれを隠すことを選んでしまった。
セシリアの胸をじわじわと、罪悪感が支配していく。
…それでも。
彼女は目を瞑り、いなくなってしまった家族達のことを思い出す。
天真爛漫で懐っこい笑みを見せ、いつも無邪気に駆け寄ってきたミア。
嘘つきもので、だけど誰よりも明るく元気で面白い、初めて出来たお友達のパロディ。
男の子なのに弱っちくて、喧嘩ばっかりしていたけど、とっても優しくて思いやりのあったアシュ。
片目が見えない自分を、まるで騎士のように手を引いてエスコートしてくれていたひかり。
そして、ゴミの世界で巡り会い、この孤児院で再会した、笑顔の似合う、イタズラ好きの、優しい紳士のような 大好きな人…エスピダ。
誰もがみんなセシリアにとって大切な友人であり家族であった。目を瞑れば鮮明に思い出すことが出来る彼らとの和やかな記憶に思い馳せながら、セシリアは膝を抱え顔を埋める。
……ごめんね、ひかり。セシルはただ、家族との思い出を、この場所を、幸せを、……壊したくないだけなの。ごめんね。ごめんね。セシルのこと、ゆるして。
すると、セシリアの元へラーナが様子を伺うように顔を覗かせた。
「…セシリアちゃん、大丈夫?」
「あ、……ラーナお兄ちゃん」
ラーナを見上げるセシリアは、ラーナの予想に反してどこか落ち着いた顔をしていた。
「悲しそうにしてたから心配して様子見に来たんだ」
「…ううん、ちがうよ。悲しくなってたんじゃないの、いなくなった皆のこと …思い出してたの」
「みんなのことを?」
「うん」
セシリアはそう呟いて、またどこか遠くを見つめていた。彼女のその様子を見て、ほんの少し意外そうな表情でラーナが言う。
「………セシリアちゃん、いつの間にか泣かなくなったんだね」
家族が居なくなる度に人知れず泣いていたセシリアの姿を知っていたラーナは、感心したような、驚いたような様子でそう言った。
「…うん。セシル、もう泣かないよ。ちょっぴり寂しいけど、………みんなここに居るもん」
「?…みんなここに?」
ラーナは彼女の言葉に緩く首を傾げた。セシリアは遠くを見つめたまま話す。
「…前にね、イソラが教えてくれたの。死んでしまったとしても、皆きっとセシル達を見守ってくれてるって。まだここに居てくれてるって。ここに暮らせた皆はきっと、幸せだったはずだって」
「だからセシル、もう寂しくないんだよ。ミアも、エスピダも、パロも、アシュも、ひかりも…みんなずっとセシルたちのそばに居てくれてるもん。ずっとずっと、一緒だもん」
そう語るセシリアの瞳はどこか輝いているようにも見えた。こんな状況下で、彼女はどこか希望に満ち溢れていた。
「ロゼはああ言ってたけど…セシルは、ラーナのこと まちがってないと思うよ。悲しいも、苦しいも、辛いも、ずっと引きずってちゃダメだと思うから。…生きるって、こういうことでしょ?」
振り向いた彼女の瞳は優しく細められていた。暖かな肯定を前に、ラーナは小さく目を見開いた。
「セシルね、大好きなぱぱとままと家族のみんなとずっと一緒にいたいの。家族のみんなには、幸せでいて欲しいの。その為ならセシル………何だってするよ」
少女はそう言って柔らかく笑った。そこに迷いも、惑いも、淀みも何一つなかった。ただ純粋に、"家族を愛する想い"だけが彼女を動かしているのだと。そう感じた。
「………あははっ、僕も同じ気持ちだよ。僕も、みんなの幸せを願ってる」
「ラーナお兄ちゃんも?」
「そうだよ。みんなに苦しい思いなんてして欲しくないから」
ラーナは笑って、ハッキリとそう言った。その笑顔に釣られるようにセシリアも花が咲いたように笑う。
「じゃあ、セシルたち、一緒だね」
彼女はクスクスとそう笑った。
「そうだね、僕達………同じだ」
…違うよ、セシリアちゃん。
僕と君は、似ているようで、全く違う。
だって君は、
何も
キィン____。
突如として、悪魔の訪れを知らすノイズが鳴り響いた。セシリアとラーナはとても落ち着いているようだった。
『____さあーてみんな!この殺し合いゲームも残り2組までとなったね!ここまで来るのは長いようで圧倒いう間だったよねぇ、すっごく感慨深いよ〜』
その言葉にセシリアがぴくりと反応した。
…残り2組。脳裏に浮かぶのは、薄桃色の髪を可愛らしく結んだチェカの姿と、空色の髪にベールをなびかせたイソラの姿と、真っ直ぐ暖かい愛情を与えてくれた、サビクの姿。
…みんなみんな、セシリアにとって大切な家族だった。
『最後の2組も存分に楽しませてくれることを願ってるよ!さて、それじゃあ皆様お待ちかね、ペア発表の時間と行こうか』
セシリアは冷静だった。例え誰と当たったとしても、自分がやるべき事は、一つだけだから。
『それじゃあ発表します!』
『次の対戦ペアは〜、』
『チェカちゃんとセシリアちゃんでーす!』
チェカ。
彼女とはサビクを取り合いよく喧嘩をする仲だった。
だけど、セシリアにとって彼女もまた家族の一員であることに変わりはない。
それなら自分ができることは1つ。
「ラーナお兄ちゃん」
セシリアが、ラーナの方を振り向いた。ラーナはきょとんとした表情でセシリアの方を見た。
「どうしたの?セシリアちゃん」
彼が優しくそう問えば、セシリアは、今しがたゲームに選ばれたとは思えない明るい笑顔と声色で、笑った。
「セシル、お願いごと叶えれるように、頑張るから!」
彼女は無邪気に笑ってそう言った。少しの驚きの後…ラーナは緩く微笑んだ。
「…………そうだね。応援してるよセシリアちゃん」
彼女の瞳に迷いはない。彼女の思いに淀みはない。
家族とずっと一緒にいること。
彼女の願いは、ただそれだけだ。
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
「………」
一人きりの部屋の中。額縁に飾られた写真を大切そうに指でなぞる。
そこに映るのは自分と、優しく笑うシスターと神父、それと、大好きなサビクの姿。
少女はそれをぎゅっと抱きしめたあと…にこりと笑う。
「サビクの為にも、チェカ、…頑張るから」
「みててね サビク」
小さな少女の誓いの言葉が、暗い部屋に木霊した。
※この創作はフィクションです。
実在する団体・個人とは関係ありません。
※3L要素(異性愛・同性愛描写)が含まれる可能性があります。
※暴力・流血表現、ロスト、死ネタ、R指定要素あり。
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