✝︎
忘れていた全てを、思い出した。
忘れていた感情を、思い出した。
これはきっと神様からのプレゼントなのだと思った。神様が手繰り寄せてくれた運命。
でも、あの子にとっては違った。
…貴方との全てを、間違いだったなんて思わない。
だからどうなったとしても、全て受け入れるつもりだった。
それなのに
✞
イソラは一人、朝日が差し込む廊下出窓の景色を眺めていた。不安と恐怖で押しつぶされそうな毎日なのに、朝日は変わらず登っては沈み、草花は今日も優雅に風に揺られている。
自分がゲームに選ばれた感じがしなかった。この期に及んでまだ自分は現実を直視出来ていないのだろうか?
「……私、本当だめだめだなあ…」
イソラはぽつりとそう呟いた。ただ虚しさが支配するだけだった。
「……あんなに賑やかだったのにな」
過去の記憶に思い馳せる。どこにいても聞こえる子供たちの賑やかな笑い声、話し声、走る音。今や影も形も残さないけれど。
「………」
これ以上、悲しい思いも、寂しい思いも、つらい思いもしたくない。家族の苦しむ姿を見たくない。だけどどうしたらいいかなんて分からない、何が正解なのかわからない。
私が死ねば終わるのだろうか。いや、そんな事をしたって意味が無い。楽になるのは自分だけだ。きっと誰も幸せになんてならない。
…いや。もう幸せになるに術なんてどこにも無い。こんな箱庭の中で、優しい家族のみんなが死んでいく中で、幸せを願うなんて、きっと無謀だろうと。そんなのとっくに分かってる。
何も出来ない。確かな無力感がイソラを襲う。このゲームは悲しみと苦しみを生み出すだけ。なんの意味もない。心に傷を負ってなお願いを叶えようなんて誰が考えるんだろう。
「はあ……」
小さなため息をついて、イソラはその場を立ち去ろうとする。しかしその時、背後から声をかけられた。
「イソラ」
「?……っ!!」
振り向いたイソラは目を見開いた。そこに立っていたのは、ゲームの対戦相手であるサビクだったからだ。何故か彼の目を直視することが出来ず、イソラはサッと目を逸らした。
「ぉ、おはようサビくん、今日は早起きさんなんだね…?」
「うん、おかげさまで。最近は1人でも起きれるようになったよ」
「1人、で…?チェカちゃん、は?」
「ああ……チェカはまだ寝てるよ。ちょっと具合悪いんだって」
「具合…」
昨夜見たチェカの姿と、言葉が思い出される。そうしていっそう強くなる不安にイソラはつい顔を伏せた。
「ねえイソラ よかったら一緒にコロシアムまで行かない?」
「っえ?一緒に?」
「うん。勿論イソラが嫌なら強制はしないよ、まだ家族のみんなと話したいことがあるならオレ先行ってるからさ」
「う、…ううん。大丈夫…だよ。一緒に行こ、サビくん」
サビクの申し出に少し驚いた顔をするも、イソラはぎこちなくにこりと微笑んでそう言った。サビクもまたふわりと微笑んだ。そうして2人はこの孤児院からコロシアムへと向かう。
誰ともお話できなかったな、なんて考えながらイソラは館の外へ出た。さらさらと吹く風が何だかいつもより冷たく感じた。
…でも、これでいいのかもしれない。言葉を交わしたって、それで後々皆を苦しめるようなことはしたくなかったから。セシリアと自分が交わした、二度と叶わない約束のように。
「…………セシル ちゃん」
気づけばイソラは彼女の名前をぽつりと口に出していた。その小さな声は風のせせらぎに攫われて消えてしまった。きっと誰にも届かない声。
そんな時、ただ無言で歩いていたサビクがふと、口を動かした。
「死んでいく家族を見た時、本当に苦しくて、悲しくて、つらくて仕方がなかったんだ。あんなにも無邪気で優しい子供たちが、絶望と苦しみの中で息絶える姿なんて見てられなかった」
イソラは彼の方を見る。彼はずっと前を向いていて、どんな顔をしているのかは分からなかった。
「嫌だった。オレの大切な家族が、幸せが、平和が、崩れて壊れて消えていくのは。それを見てることしか出来ないのも、助けてやることが出来ないのも」
サビクの言葉はどこか憂いを帯びているような気がした。
「……だけどあの時…ラーナに励ましてもらってからは、オレ少しは強くなれたんだ」
「?…ラーナくんに?」
「うん。ラーナは苦しんでたオレを慰めてくれたんだ。だからオレは今もここにいる」
そんな事があったなんて知らなかった。サビクはいつも、自分の弱みを弟妹たちには見せないようにしていたから。イソラがそんな事を考えていると、ふと。歩いていたサビクが立ち止まり、こちらを振り向いて言った。
「……あのねイソラ。オレは本当に家族のことを大事に思ってて、他の何にも変え難いほどに愛してるんだ。家族の存在だけが、オレの唯一であり、願いなんだ」
「だからオレは絶対に諦めないよ どんなに苦しくても、悲しくても、つらくても。もうこれ以上立ち止まったりしないよ。前に進むんだ」
「オレの想いは本気だよ。家族のことは心から大切に想ってるけど、大事な家族のためならオレは何だってするって誓える。」
「……だからイソラ、どうかオレのこと信じてほしい。オレの気持ちは嘘じゃないってこと、……わかってくれるよね?」
そう言ってサビクはイソラへ手を差し伸べた。イソラは、ようやっとこちらを見たサビクの顔を見上げる。
彼は真っ直ぐに自分を見つめていた。その瞳は、あの日夕暮れの廊下で見たものと全く同じ優しい目をしていて、彼の言葉に、想いに、嘘も偽りもないことは強く伝わった。
そしてその言葉と、彼の目を見て。イソラはほっと安堵するのだ。自分を支配していた不安の霧が晴れていくことに。サビクはあの時からずっと、家族を想う優しい兄のままであるという事実に。
「うん…勿論わかってるよ。サビくんはみんなの優しいお兄ちゃんだもん」
そうしてイソラが少しの迷いの後、笑って彼の手を取れば、暖かな手がイソラの小さな手を包み込む。
「ありがと。…どうしたらいいかは分からないけど…やれる事はやるから」
サビクはそう言って柔らかく微笑んだ。そして彼はイソラの手を引きコロシアムへと歩を進めるのだ。
…これからどうするの?なんてことは聞けなかった。それを聞くのは怖かった。だから見ないふりをした。知らないフリをした。幼い少女には、今目の前にいる兄の優しさを受け入れることしか術がなかったから。
彼は、私を殺すのだろうか。
そんな思考を振り払うように、イソラはぶんぶんと頭を振った。自分の内に渦巻く感情に、サビクが気づいていないことを祈りながら。
✝︎◆✝︎
『わあ、2人とも予定していた時間よりちょっとお早いご到着だね。やる気があってよろしい!僕は嬉しいよ〜!』
コロシアム前へ着いたと同時、どこからともなくアーテルが現れケタケタと笑いながらそう言った。
『それじゃあまぁ、少し早いけど門を開いてあげるよ。中へ入ったら真ん中まで向かってね〜』
アーテルがそう言うと、大きな門がゴゴゴ、と音を立てて開かれていく。
中からぶわっと吹いた風に、体と心がひんやり冷たくなっていく気がした。自分が立たされる舞台を前にしてようやく己が置かれた現状を認識したのだろう、イソラの手は僅かに震えていた。
「大丈夫」
「!」
そんな彼女の手を安心させるようにサビクがきゅっと握りしめた。じんわりと伝わる温もりと優しい眼差しを見て、ほんの少し手の震えが収まった。
門が開き中へと進むと、サビクはイソラの歩幅に合わせるようにゆっくりと真ん中の方まで歩いていった。2人がそこへ立つと、アーテルがいつにも増して楽しそうな声色で言う。
『いよいよ今回で最後のゲームになるんだと思うとなんだかワクワクしちゃうね〜、今回はどんなモノを見せてくれるのか楽しみだなぁ〜』
彼の笑い声が余計に不安を煽る。対するサビクは何も言わずじっと遠くを見つめていた。
『それじゃあ始めようか!2人とも衝撃に備えてね〜』
その言葉と同時、2人の体に鋭い痛みが走る。突然のことにぎゅっと目を瞑るイソラと、僅かに目尻をぴくりと動かしたサビク。
数秒の間のあと。…イソラが目を開ければそこは、モニター越しに何度も見てきたゴミの世界だった。今更もう驚きはしなかったけれど。
『さっ準備完了!もう説明はいらないね?僕は観察に移るからあとは2人で頑張ってね〜!』
そう言い残した後プツリと音は途絶え辺りは一気に静かになった。その静寂が何だか居心地悪かった。
「……別行動は危険そうだし、2人で行動しよう、イソラ。オレたち以外に、もしかしたら何かがいるかもしれないし」
そう言ってサビクは向こうの町の道を指さした。これはきっと、今まで見てきた家族たちの様子を見ていたからこそ生まれた懸念。
モニター越しに見ていてわかったことがある。
ゲームに選ばれた子供たちはいつも"見えない何か"に動揺していたということ。それらニコラスも、エスピダも、ロゼも、パロディやミアも同じだった。もしかしたらこの場所には、モニター越しには映らない何かがいるのではないかと…サビクはそう考えたのだろう。
「うん…そうだね、わかった。私サビくんについてくよ」
「はは、ありがとう。じゃいこっか」
「うん」
そう言ってサビクは町の中へと歩いていった。イソラもまた彼の背を追って町へと入っていった。
✝︎◆✝︎◆✝︎
町は相変わらず閑散としてた。私たちの記憶から再現された場所って言うんだから、変わらないのは当たり前なのかもしれないけど。静かな町に聞こえるのは、私たちの歩く足音だけ。
今まで歩いてきた感じ、多分ここには本当に私たち以外の人はいないんだと思う。人の気配は感じなかったし、見たところ誰もいないみたいだから。…でもそれなら、家族の皆は一体"何を見てた"んだろう…?
1度立ち止まって、ぐるりと町を見渡してみる。本当に時が止まったみたいなこの町は、きっと瓦礫のヒビ1つ違わず私たちの記憶にやって生み出されたもの。
……いざここに立ってみると不思議な感覚になった。今まで深くは考えてこなかったこと…だけど考えれば考えるほど、不思議で仕方がないこと。
どうしてあの人…アーテルさんは、私たちの記憶からこんな場所を再現できるんだろう?…そもそもあの人は、どうやってこんなに大きな町を作り出してるんだろう?
恐怖と不安と悲しさでいっぱいで考えようともしなかったけど。思ってみれば不思議なことしかなかった。それが当たり前になりつつあったことが信じられないほどに。
「…不思議だよね、何でこんなことができるんだろ」
立ち止まってる私のところにサビくゆがやって来てそう言った。
「そうだね…なんだか、変な感じ」
家族のみんなはここで死んじゃったんだって思うと、余計苦しくなって。私はつい町の景色から目を逸らしてしまった。俯いて見えるのはアスファルトの地面。
「…行こっサビくん、ここには何もないみたいだし!」
出来るだけ明るくそう言って私は前へと進んだ。ずっとここにいるとそびえ立つ建物に押しつぶされてしまいそうな気がしたから。
「ねえイソラ」
その時、サビくんが私を呼んだ。振り返るとサビくんは空を見上げたまんま立ち止まっていた。
「なあに?サビくん」
首を傾げると、サビくんは私の方を振り向いて、言った。
「もしこれが全部夢だとしたらどうする?」
「…え?」
急にそんなことを言われて、訳が分からず目をぱちぱちと瞬かせた。サビくんは私のことをじっと見つめていた。
「ここにあるもの全部ホンモノじゃなくて…孤児院も家族も本当は全部夢の中のもので、オレたちずっと長い夢を見てるんだとしたら…イソラは、どう思う?」
どうしてそんな事を聞いてくるのかわからなかった。だけどサビくんが、あんまりにも寂しそうな声で言うから、私は言葉に迷いながらもサビくんに伝える。
「…え、っと。…確かに、これがみんな夢だったらいいなって思うよ。全部悪い夢で、本当は誰も死んでなんかなくて、みんな幸せなままで、誰も悲しい思いをしてなければ…って」
「でも、私……全部が夢だったらいいななんて、思わない…かな…。ここで出会った家族のみんなとの思い出も、幸せな記憶も、楽しいことも悲しいことも…全部全部大事だから、無かったことになんてしたくなくて……」
「だからね、その……サビくん達との思い出がみんな夢だなんて寂しいから…それはやだなって、思う…かな?」
自信がなくて、声がちょっとだけ小さくなっちゃう。それでも、私が思ったことはちゃんとサビくんに伝えなきゃと思ったから。
何も言わないサビくんに、ちょっぴり不安になった私は恐る恐るサビくんの顔を見た。そしてサビくんの顔を見て、私は大きく目を見開いた。
「…ぇ、」
「__そっか。確かにそうだよね、オレもイソラと同じ気持ちだよ。ごめんね変なこと聞いて。きっとオレ疲れてたんだね」
驚いた私をよそにサビくんはいつも通りの優しい笑顔でニコりと笑ってそう言った。でもその顔を見ても、私はちっとも安心しなかった。
「さ、サビくん」
「あぁ そう言えば向こうの方に公園があったような気がする。水とかあるかもだし、オレちょっと見てくるからイソラはここにいて」
「まっ待ってよ!」
早足にそう伝えると、サビクは別の方向へと去っていった。止めようとしたけど、サビくんはもう私の方を見てないみたいだった。
…あの時。一瞬見えたサビくんの私を見る顔は、驚いたような、…ううん。まるでショックを受けたような、そんな目をしていた。
私、何か間違えたの?何か失敗したの?分からないよ、サビくん、どうしてあんな顔をしたの?
去っていく彼の背中を前に、私は何も出来なかった。
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
バカだ。本当にバカだ。
これが全部夢?ホンモノじゃない?どうしてオレはあんなことを彼女に言ってしまったんだろう。そんなこと言ったって意味なんてないのに。
彼女の答えを聞いた時、ついあんな顔をしてしまった。彼女は何も悪くない。思ったままを言っただけだ、何も間違っていない。オレも聞かれればそう答えただろうから。
じゃあ、胸を刺すようなこの痛みはなんだ。
わからない。知らないよそんなもの。今更痛いだなんて言われても 今更こんなことに気づいても あんなことを知った今じゃもうどうすることも出来ないんだから。
オレの足は次第に早くなっていって、いつの間にか廃れたこの町を走っていた。
早く、早く、早く。あそこに向かわなければ。彼の言葉が正しいのであれば、オレの目的はそこにあるはずだから。
走って、走って、走って、走って、走って。ようやくついに、たどり着いた。
そこは山積みになったゴミが放置された、汚れた町の暗い路地。オレはその先へ迷うことなく足を踏み入れる。
腐ったものの匂いが鼻を突く。ぐしゃぐしゃに散りばめられたゴミに足をすくわれそうになる。それでもオレは止まらず先へ進む。
そして、少し開けた道へ出た時、
見つけた。
黒い、2つの影を。
そして聞いたんだ。あの声を。
『縺雁?縺。繧?s縲√←縺薙↓縺?¥縺ョ?』
『鬟溘∋迚ゥ繧呈爾縺励※縺上k縺?縺代□繧医?∝ソ??縺励↑縺?〒縲ゅ☆縺仙クー縺」縺ヲ縺上k縺九i縲』
『蟇ゅ@縺?h縲√♀縺?※縺九↑縺?〒』
『螟ァ荳亥、ォ縲√♀蜑阪r1莠コ縺ォ縺ェ繧薙※縺励↑縺?°繧』
『譛ャ蠖薙↓?溽オカ蟇セ蟶ー縺」縺ヲ縺阪※縺上l繧具シ』
『蜍ソ隲悶?や?ヲ縺昴≧縺?縲√◎繧後§繧?≠縺雁燕縺ォ縺薙l繧偵d繧阪≧縲』
ひとつの影が、もうひとつの影に何かを着せた。それを見て、オレはぎゅっと、自分の真っ黒なポンチョを抱きしめる。
『譛ャ蠖薙↓?溘>縺???』
『縺?s縲ょヵ縺悟クー縺」縺ヲ縺上k縺セ縺ァ縺雁燕縺檎捩縺ヲ縺ヲ縺?>繧医?』
そう言って頭を撫でる影。その影を見て、ぁあ と小さく声を漏らす。
優しい笑顔で笑う君。優しい手で頭を撫でる君。銀河色をしたソレをオレに着せて微笑んで、忘れもしないあの穏やかな声で、あんたは言った。
『縺セ縺」縺ヲ縺ヲ髮ェ關ゥ縲ゅ°縺ェ繧峨★蟶ー縺」縺ヲ縺上k縺九i縲』
そう言って遠ざかっていく影。それにオレは手を伸ばした。
ああ、オレはずっと待っていたんだ。この寒空の下、アンタが帰ってくる日をずっと。
このポンチョはもう二度と返せないと思っていた。あんたはもう居なくなってしまったんだと。
だけど違った。あんたはまだ、ここにいる。あんたはずっと、オレのそばにいた。
…さっきは少し揺らいだけど。あんたの姿を見て、オレやっと覚悟決まったよ。
…待っててよ 秋炉
オレ、必ず返しにいくから。
だからアンタも、
オレを____
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
サビくんがどこかへ言っちゃってから、多分もう10分は経ったと思う。ここで待っててって言われたから私は動かずずっとここにいた。
「サビくん…どこいっちゃったのかな………私が何か間違えたこと言ったから、怒っちゃったのかな…」
不安に押しつぶされそうになりながら、私はサビくんの帰りを待っていた。
……こんなふうに、来ない人を誰かを待つのは久しぶりだと思った。
このゴミの世界で、私は人を待っていたことがある。私と同じ、何もかも諦めたような瞳をした少年のこと。同じ空の下、一緒に泣いたあの子のこと。
私はこの町で彼と出会えることを願っていた。だけど彼はもう二度と、私の前に姿を現すことは無かった。きっと、悪い大人に殺されたんだと思った。
「………サビくん」
…サビくんも、あの少年みたいになっちゃうのかな。このまま二度と、私の前に戻ってきてくれなくなっちゃうのかな。なんて
『縺ゅ?縲√♀縺ッ縺ェ縺励↓縲∬?蜻ウ縺ゅj窶ヲ縺セ縺吶°窶ヲ?』
「っ!?」
そんなことを考えていたら、ふと。近くから小さな少女の声が聞こえた。突然聞こえた鮮明なその声にビックリした私はバッと顔を上げるけど、何故だか不思議と恐怖は感じなかった。
立ち上がった私は声のする方を探してそっちへ向かう。近くで聞こえたから、この場所からそう遠くはないと思う。そして、とある建物建物の間の場所で、私は見た。
少女のような見た目をした影と、少年のような見た目をした影。
「____ぁ」
そして私は、思い出した。
あの時のこと。
***
「…………おはなし?なに それ」
「ぁ、えっとね…!私がつくった、おはなし、なんだけど………」
淀んだ瞳で私を見上げた少年は、じとりと私を凝視してそう言ったあと、ふぅんとひとつ呟き僅かな小さく頷いた。
「…ほんと?きいてくれるの…?」
「……………ん。」
少年がそう言ったから、私は彼の隣に腰掛けて、1つ。物語を話した。
それは、とある青い鳥の話。大空を羽ばたくことの出来ない哀れな小さな鳥が、初めて自由という名の広い空へと飛び立ち、大空を舞ったお話。
空を飛べない私が、小さいながらに作ったもの。勿論、面白みがあったかなんてわかんないし、彼が気に入るかもわからなかった。
だけど少しでも。希望も夢も、生きることも諦めてしまったようなあの少年を、助けたいと思ったから。だから私は沢山迷いながらも一生懸命おはなしした。
「……ど、どう…………だった、かな?」
話を終えた時。私はおそるおそる少年の顔を伺う。何も言わない彼の反応に、もしかして迷惑だっただろうかと心配になったから。だけど、違った。
「………っえ?どっどうして、な、ないてる、のっ!?」
「…………………へ?」
少年は、大粒の涙を流して泣いていた。突然のそれにびっくりした私はわたわたと慌てる。
傷つけてしまったのだと思った。私のつくったお話のせいで、小さな少年の心へ傷をつけたのだと。失敗してしまったんだと思った。でも少年は、決して私を責めなかった。
「ご、っごめんね、私がへんなこと話したから、」
「う うん ちがう、ちがうん、だよ。ただ、きれいだと思っただけ 幸せになって欲しいなって思っただけ」
「……え?」
その言葉の意味が、私にはわからなかった。"幸せになって欲しい"?どうして彼はそんなことを言ったんだろう。これはただの作り話で、ただの私の幻想なのに。どうして彼は、そんなふうに泣くんだろう。
それがわからなくて、わからなくて、わからなくて。だけど彼の言葉はなんだか、暖かくて、優しくて、心地よくて。気づけば私の両目からはぽたぽたと涙が溢れていた
「、?あ れ?なんで私も、泣いて」
涙を止めようにも止めることが出来なくて。溢れてくる感情をこらえることが出来なくなって。初めて、人に願われた幸せに、優しい涙に、心がじんわり熱くなって。
気づけば私たちは2人で泣いていた。溢れる感情に任せて、わけも分からず泣いた。薄汚れた路地に、小さな少年と少女の泣き声がわんわんと響き渡った。
そうして数分後。ようやく落ち着いた少年の瞳は、最初に見た時よりもずっと光の宿った目をしていた。
「………ねえ、おまえ、名前は?」
「わ、わたし…?」
優しい声と笑顔で彼はそう言った。泣き濡れた瞳を擦りながら、私は、名乗った。
「…いそ、………じゃなくて、…ことり………私の名前は、小鳥だよ」
「ことり、……ことり。オレは…雪萩。ユハギだよ」
私の名前を繰り返すように呟いたあと、少年は、自分の名をユハギと教えてくれた。
「さっきは突然泣いちゃってごめんね。…あのねことり…………オレ、実はもうすぐ死のうと思ってたんだ。」
彼の言葉に、私は驚いて大きく目を見開いた。だけど彼は落ち着いた声で話してくれた。
「…帰りを待ってた人がいたんだ。すぐに戻ってくると言って居なくなってしまった人。数年の時が経って、その人はもう二度とかえってこないんだと思ったんだ。だから、これ以上待つのはやめて 死のうと思った」
「だけど、ことりが話してくれた物語を聞いて………何だろうな。感動したっていうのかな?もう少しだけ待ってみようって、もうちょっとだけ誰かの為に生きてみようって…思えたんだ。夢も希望もなかったけど…君と出会って、君の話を聞いて、君のおかげで、オレはまだ死にたくないなって思えたんだ」
そう言って優しく微笑んだ彼は、私の頭を優しく撫でて笑った。
「ことり。君が希望をくれたんだ。君こそがオレの幸せの青い鳥だよ」
そう言って少年は眩しいほどの笑顔で笑った。彼を救おうとしたはずなのに、その笑顔に私が救われたみたいで。忘れていた感情にくすぐられながら、私も彼に釣られて笑った。
これは、遠い昔……夢も希望も無いような廃れたゴミの世界で出会った、飛べない鳥の少女と、雪のように真っ白な少年とが出会った、あたたかな、記憶。すっかり忘れていた、"誰かを好きになる"という感情。
「君もあの青い鳥みたいに 幸せになれるといいね ことり」
少年がそう言った。それが私と彼の、最期の言葉だった。
*
「……ぁ、あぁ、」
気づけば私は泣いていた。目の前の影の姿が、脳裏にフラッシュバックした少年の姿が、全く同じものだったから。それは私にとって一番大切な思い出だったから。
私の幸せを願ってくれたあの少年は、あの後姿を消してしまった。何度同じ場所に行っても、何度あの子の姿を探しても、そこに少年は…ユハギくんは、いなかった。
殺されたんだと思った。汚い大人たちに。…いや。もしかしたら自分で命を絶ってしまったのかもしれないとも。全部私のせいだと思った。私があんな話をしたから。私が彼を泣かせてしまったから。
「ごめんね……ユハギくん…っごめんね………」
目の前にいたはずの影は消えていた。優しくて、暖かくて、だけど切ない思い出に泣きながら、私はそこから動けないでいた。
早く戻らないと。サビくんに心配かけちゃだめなのに。涙は止まらなくて、足は、動かなかった。サビくんを、困らせるわけにはいかないのに。私の幸せを願ってくれた彼を、困らせる訳には、
…………あれ?
ふと。あの時私に笑った少年の笑顔と言葉が、いつかの夕日に照らされて笑ったサビくんと重なって、思い出される。
"「忘れないで イソラ。君が誰かの幸せを願うように、オレも君の幸せを願ってるんだよ」"
私の幸せを願ってると微笑んでくれた、サビくん。
"「ことり 君もこの青い鳥のように 幸せになれるといいね」"
私の幸せを願ってると笑った、ユハギくん。
雪のような真っ白な髪に、銀河を散りばめた真っ黒なポンチョと、眩しいまでに純白な2人の笑顔が、重なる。
もし。もしあのあと。殺されてしまったんだと思っていたユハギくんが 神と呼ばれた組織の救いの手によって救われて 家族を集めた孤児院で暮らしているのだとしたら。
もしかして
あの子は
「____イソラ!!」
突然背後から聞こえた大きな声に振り向こうとしたその時、手を引かれて走り出す。驚いて見上げればそこに居たのはサビくんで、サビくんは私の方に振り返ると、明るい声色で言った。
「出口を見つけたんだ、どうなるかわかんないけどオレたちきっと無事にここから出られるよ!」
そう言って笑うサビくんの笑顔は、まるで幼い子供のように無邪気で、眩しかった。そして、その笑顔を見て、私は確信する。
ああ やっぱり、ユハギくんだ
心の声でその名を呼んだ。もちろん、本当は違ってるのかもしれない。だけどサビくんの笑顔は、あの子と……ユハギくんと、何一つ変わらなかったから。私は言葉を重ねた。
「ユハギくん…わたし、わたし…っずっと後悔してたの…ッ私があの時あんな話をしたから、あんなことしたから、ユハギくんは死んじゃったんじゃないかって、ずっとずっと思ってたの…!」
涙が溢れて止まらない。前が滲んでよく見えない。だけどユハギくんの手はあたたかくて、彼が"ここにいる"のだということが確かに伝わってくる。
「でも、でもずっと……貴方はここにいたんだね いなくなったと思ってた、もう会えないと思ってた、私のせいで、もう二度と再会できないと思ってたッ…」
ユハギくんはこちらを見ることなく私の手を引いて懸命に走る。でもそれでいいの。涙でぐちゃぐちゃの顔を、見られたくないから。さっきまであんなに冷たく感じた風も、なぜだか今は暖かく感じる。どれもこれも、みんな、目の前にいる、あなたのおかげ。
……あのね、ユハギくん。わたし、貴方を忘れたこと 1度もなかったよ。
あなたと出会って別れたあの時から 私……ずっとずっと、もう一度あなたに会いたならって思ってたよ
ユハギくん、ユハギくん、ユハギくん。
私は心の中で、何度も彼の名を呼んだ。そしてその暖かな手を握って、声に出して言った。
「わたし、ずっとあなたの言葉が忘れられなかった…私があなたに運んだのは幸せなんかじゃなくて、あなたにとって望まないものだったんじゃないかと不安だった!」
「でもそうじゃないって分かったよ、だって貴方はまだここにいる、私の前にいるもん」
「ユハギくん、私ね、」
感情の赴くまま、言葉を紡ぐ。もう二度と叶わないと思っていたこと、できないと思っていたこと。たくさんの想いをのせて、彼に叫ぶ。
「ずっとずっとあなたに、」
ユハギくんが、私の方を振り返った。
「あいたかっ_____」
瞬間。目前に現れた鋭い何かが、私の方へ勢いよく振り下ろされて______
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
刹那。
イソラの視界が反転して、身体に鈍い痛みが走った。
何が起こったのかわからないでいると、視界いっぱいに広がったのは、真っ青な晴天と、自分に刃を向ける、サビクの姿。
「………………サビ く ん?」
イソラの頬を、ツ…と赤い血が滴る。それがサビクの持つ凶器によって作られた傷であるということを理解するのに時間がかかった。
「……言っただろ イソラ オレの気持ちは嘘じゃないって」
「……っへ…?」
サビクはイソラの上に馬乗りになったまま、彼女の首に刃先を向けてそう言った。彼の言葉の意味が理解できないでいると、サビクが、見たこともないような笑みで、言った。
「家族を想うオレの気持ちに嘘はないけど、"家族"の為なら何でもするって。オレは最初から君に嘘なんてついてないよ。チェカみたいに、騙すなんてズルいマネはしない」
イソラは、目を見開いた。目の前にいる青年が、あまりにも、不気味に笑うから
「オレにとってこの孤児院の家族はかけがえのない存在だったよ。大切で、大事で、心から愛してる。でもね…オレにはそれ以上に大切な"家族"がいるんだ。君たちのことは本当に宝物のように想ってる。…だけど、"家族"の為ならば。オレは君たちを、君を殺すよ イソラ」
「……ごめんねイソラ 君にかけた言葉は決して嘘じゃない。でもオレには会わなきゃいけない大事な"家族"がいるんだ。でもその人は"ここ"にはいない。その人に会うためにはね、この場所から抜け出さなきゃいけないんだ」
「オレの願いを叶えるには、いつまでもこの場所にいるわけにはいかない いつまでも、悪夢に魘されている暇はないんだ」
「…だから許してよイソラ、オレがキミを殺すこと」
サビクはいつもの声で、確かにハッキリとそう言った。彼のその言葉を、笑顔を、イソラは受け入れることが出来なかった。
何で?どうして?あんなに優しくて、あたたかかったのに。今私を見下ろすサビくんの目は、まるで氷みたいに冷たくて、怖くて、…ちがう、サビくんはこんなこと言わない、こんなのサビくんじゃ、ない、
「……オレはやっと、オレにとってのかけがえの無い、"生きる理由"を見つけたんだ。そしてそれを叶える為には…こうするしかないんだよ」
サビクはそう言ってイソラを冷たい眼差しで見下ろした。
「…………な、にいってるの、サビく、…わたし、なにか、わるい、こと」
「してないよ。何も。イソラは何も悪くないんだ。もちろんイソラだけじゃない、オレも皆も、ここにいる誰も何も悪くないんだよ。オレ達はただ…運がなかっただけ」
彼は淡々とそう言った。バクバクと鳴り止まない心臓と、震える体では、彼の言葉1つ理解することが出来なかった。イソラが何も出来ず震えていると、サビクが彼女の胸ぐらをガッと掴んで言った。
「大丈夫だよイソラ 痛いのは一瞬だけ 君は死ぬんじゃない、悪夢から目覚めるだけだ。だから何も心配いらない、きっと怖くないよ」
手に握ったハサミをイソラへ構えて、子供を宥めるような優しい言葉で彼は笑う。
「…ゃ だ よ」
イソラが震える唇でそう言うと、サビクは小さく肩を竦めた。
「あんまり抵抗しない方がいいと思うよ、オレも君を苦しめたくないから」
「………お願いだから…」
イソラが小さく呟いた
「じゃあねイソラ 次こそはきっと良い夢を見るんだよ」
サビクがハサミを振り上げた。太陽に反射するその刃がキラリと光った時、
イソラが、叫んだ。
「っっっもうやめてよ雪萩くん!!!」
その叫びに、ピタりとサビクの動きが止まった。
「………イソラ お前さっきから何でオレの名前」
「私、ユハギくんのことずっと好きだったのに!!」
「……は?」
イソラはサビクの腕を掴んで、悲鳴にも近い声で叫ぶ。
「光を失ったあなたの目を見て、助けてあげれたらって思ったあの時から!私の物語を聞いて、一緒に泣いてくれたあの時から!あなたにとっての、何も無い、飛べない鳥だった私が、貴方にとっての希望を届ける青い鳥になれたあの時からずっと!!」
「私はあなたが、ユハギくんのことが、ずっとずっと好きだったのに!!!こんな私でも、貴方の希望になれたこと、心から幸せだと思ったのに!!」
泣き声混じりのその悲鳴が、静かな町へビリビリと響き渡った。イソラは子供のように泣きじゃくり、両手で顔を覆う。
忘れられない初恋。その相手が目の前にいる。だけどそんな淡い記憶を大事に抱いていたのは自分だけだったのだと知って。イソラはどうしようもない感情に支配される。
こんなこと言ったって仕方ないことは分かってる。ただ認めたくなかった。優しいサビクが、ユハギくんが、こんなことをするなんて、って。受け入れることが出来なかった。
全部全部、私だけだったんだね。貴方を好きだと思ったことも、貴方を忘れられないでいたことも、貴方との思い出を、記憶を、大事に大事に心に閉まっていたのも。みんな、私だけだったんだ。
「………せっかく あえた のに」
嗚咽と共に吐き出されたその言葉を最後に、イソラはそれ以上何も言わなかった。どうせもうすぐ死ぬんだから。知りたくなかった事実と共に、このまま消えてしまうんだから。
そう、思っていた。
しかし、胸ぐらを掴んだサビクが動く気配は未だなかった。抵抗を失った今、殺そうと思えば殺せるはずなのに、彼は何故か、動かなかった。
イソラは涙で滲んだ視界で、彼を見た。
そして彼の顔と言葉を聞いて、彼女は驚いたように目を丸くする。
「……………………こ とり?」
サビクはまるで、絶望したような、信じられないと言いたげな顔で、彼女の本当の名を呼んだ。ハサミを構える手は酷く震えていた。
彼の口から自分の名前が出てくると思っていなかったイソラは、動揺を隠せないでいた。
「…ぇ、ゆ、ゆはぎく、」
「なんで きみが ここに」
サビクの手は震えていた。先程の様子から一変した彼の姿を、イソラは呆然と見つめていた。
「だって そんなの、オレ、なんで、何で今更、そんなこと、こんな、」
サビクの心が、大きく揺らぐ。そしてそれと同時に、手に持っていたはずのハサミが溶けるように姿を消した。
「…ゆ、はぎくん?」
「オレだって、君を、小鳥を忘れたことなんて、1度もない、オレに希望を与えてくれた小鳥を、好きだと思ったことも、忘れてなんか、ない、」
「でも、そんなの、今更きづいたって 遅い おそいよ、どうしてこんなこと オレもう 戻れない のに」
今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔をしたサビクを。イソラは濡れた瞳でじっと見つめていた。自分の胸ぐらを掴む手からは、彼の恐怖や同様の心が痛いほど伝わってきた
どうやらサビクは、イソラを…小鳥のことを覚えていたようだった。彼もまた彼女と同じように、彼女の存在を忘れたことは1度もなかったのだと。ゴミの世界で初めて出会ったあの日からずっと、2人は、想い合っていたのだと
しかし、そんな2人の折角の再会が、こんな形で叶うなんて、神はどれほど残酷なのだろう。…あの男はこれを、笑ってみているのだろうか?
「こんなの、ない よ」
イソラの胸ぐらを掴む手が緩められる。イソラは、恐怖と不安に押しつぶされそうにりながらも、サビクの手を、優しく握る。彼がいつも、自分にしてくれていたみたいに優しく。
「……ユハギくん、大丈夫 だよ。あなたはまだ変われる…後戻り出来ないなんてこと、ないよ…貴方が優しいってこと、私わかってるもん…今ならまだ、全部間に合うよ…だから、だからね、ユハギくん、」
イソラは彼の頬へ手を伸ばす。そして懇願するように、優しい声で、彼へ伝える
「………もう、かえろ?貴方が苦しむとこなんて、見たくない、もん」
イソラは優しくそう言った。少しでもサビクが落ち着くように。彼の苦しみを、あの時みたいに、取り除けるように。
サビクはイソラを見た。星色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめていた。その優しい眼差しに、自分を救ってくれた彼女の温もりに、そのまま、答えたかった。
だけど。
「………今更、もう、遅いんだよ…」
「ぇっ…、」
震える唇で、サビクがそう言った。彼はガタガタと震える腕で、自身の頬へ伸ばされたイソラの腕を、思いきり弾いた。
「元に戻れるものか、やり直せるものか!!こんな場所で、こんな世界で、何もかも全部知った今、何も知らなかったあの頃みたいに幸せになんてできるわけないだろ!!!」
そう叫ぶと同時、武器を失ったサビクは地面に落ちていたガラスの破片へと手を伸ばす。イソラはそれを見て、ヒュッと息を飲む。
「ま、って、ゆ、はぎくッ、」
「全部夢であって欲しかった!!ここでの思い出全部!!楽しかった記憶も、皆と遊んだことも、一緒にご飯を食べたことも、あたたかいベッドで眠ったことも、幸せだと感じた毎日こと全部!!!そしたらこんなに苦しくならなかったのに!!」
ぽたりと、イソラの頬に何かが滴った。焦燥と恐怖でぐちゃぐちゃになった思考の中でも、サビクが泣いているのだということはすぐにわかった。
「君のことを思い出さなければ!!君があんなこと言わなければ!!この感情に気づきさえしなければ!!!こんな悲しくならなかったのに、辛くならなかったのに、躊躇わなかったのに!!」
「もう戻る訳には行かないんだよッ、オレは会わないといけないんだ、決めたんだッ、家族に、あの人にっ、兄さんに!!!」
サビクがガラスの破片を握りしめた。イソラはバタバタともがくも、小さな少女の体では、青年の身体をどかすことはできない。
「ッだから死ねよ、死んでくれ!!!!お願いだからオレに勝たせてくれよッ小鳥!!!!!!!」
そう泣き叫んだと同時に、サビクはガラスの破片を振り上げた。
ピカピカと光を反射するガラスが眩しくて、目を細める。…いや、それよりも。
こんな苦しそうな顔で泣く彼の顔を、見たくなかったな、なんて。
____ザクッッッ。
「ッッぁ、"」
力いっぱい振り下ろしたガラスの破片が、イソラの胸元を貫いた。
どくりと滲み出す真っ赤な血が、彼女の服を、サビクの手を、汚す。
鈍い痛みを前に、イソラの視界がバチバチと弾ける。
「………ぁ、はは、は、これで、終わった、んだろ」
泣き震えた声で笑いながら、サビクはゆっくりと立ち上がった。ノイズが走るみたいに、周りの景色が元の姿へと変えていく。
「ッこれでオレの勝ちだ、オレは勝ったんだ!!やったんだ!!」
勝利を手に彼は歓喜の悲鳴を上げた。だけどとめどなく涙を流すその表情は、絶望の底で嘆く青年そのものだった。
「これでいいんだろ!!!これが正解なんだろ!!!言われた通りにやったよ、全部全部言う通りにしたよッ!!!!」
薄れゆく意識…もはや呼吸すらもままならない痛みの中で、指1本動かすことの出来ないイソラは泣き叫ぶサビクの姿をじっと見つめていた。
「こうすれば願いが叶うんだろ、こうすれば、こんなふざけた世界から解放してくれるんだろ!?!?」
サビクは真っ赤になった両手を広げ、空へと叫ぶ。
「なあ、見ててくれたか秋炉、オレはアンタの為にやったんだ、アンタとの約束を果たすために頑張ったんだよ!!!!」
「だからもうやめてよ、ここから出して!!こんなの耐えられない、ッこんなのもう嫌だ、全部全部捨てたのに!!これ以上オレは、オレは何を捨てればいいんだよぉ!!!!」
かわいた悲鳴がコロシアムへと響き渡る。それと同時に、どくどくと溢れる血が、イソラの終わりを知らせていた。
ああ 私がしたことは結局 ユハギくんを…サビくんを苦しめていただけなんだね
あの時私が声をかけなければ あの時私たちが出会わなければ
貴方も私も、こんな苦しまなくてすんだよね。
ごめんね、サビくん
ごめんね、ユハギくん
溢れ出す血。揺らぐ視界。サビクの悲鳴が懇願へと変わる。イソラはそれをただ聞いていた。
「お願いだから、助けてくれよ…かえしてくれよ…」
そしてサビクが、大きく叫んだ時
「やめてよ!!出してよ!!かえしてよ!!もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ!!ッッ早くオレをッ!!!!!」
「アンタの元に___」
パンッッッッッ。
………え?
甲高い音が、響いたあと
サビクの眉間を、弾丸が貫いていた。
「……………な、に?ゆ はぎ くん ?」
ぐちゃり音を立てて力なく倒れたサビク。
ぴくりとも動かなくなった彼の周りにじわじわと広がっていく血の海に、頭が追いつかない。
なにがおきたの?あの音は何?どうしてユハギくんは倒れているの?どうしてかれは、どうして、どうして
「__本当に お喋りさんだなあ」
意思に反して落ちていく意識が聞き取った言葉。
暗くなっていく意識が、最後に捉えたのは
真っ 白い、?
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※この創作はフィクションです。
実在する団体・個人とは関係ありません。
※3L要素(異性愛・同性愛描写)が含まれる可能性があります。
※暴力・流血表現、ロスト、死ネタ、R指定要素あり。
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