「……………な、に?」
「ねえ…何が起きてるの…?」
「どうしてセシルちゃんは傷だらけで」
「どうしてチェカちゃんは 笑って」
画面いっぱいに映し出される赤、赤、赤、赤。空一面に広がる曇天。耳を劈くような少女の悲鳴と、それを嘲るような笑い声。滲むノイズと歪む視界。
それはあまりにもこの世のものとは思えないほど残酷な光景で、現実味を帯びぬそれはまさに"地獄"と称するのに値するほどで。
夢であって欲しかった。だけどそうではないことをイソラは知っている。
なぜなら目の前で片腕を無くし血の海に倒れ叫ぶ少女は、今朝方、自分が笑顔で手を振り送り出した相手だから。"いってらっしゃい"と、見送った相手だから。
そして画面の中で、無邪気に笑うチェカが親友の背中へと容赦なく斧を振り下ろした。ぐちゃりという音と共に イソラの脳裏に、自分の言葉に救われたのだと言ってくれた親友の笑顔が蘇る。
…?………………私の 言葉に、救われた?
セシルちゃんは私の言葉で救われたと言った。私はあの時セシルちゃんに「皆ずっとここに居る」と言った。だからセシルちゃんはああなった。私があんな事を言ったから。私が、無責任なことを、言ったから
私が間違えたせいで、セシルちゃんは家族を殺そうとした。私が間違えたせいで、セシルちゃんは苦しんでしまった。私が間違えたせいで、セシルちゃんの腕が 飛ばされて 私が 私が 間違えて、せいで、それで、私 私は
私の せい で セ シル ちゃん は 死んだ¿
「ッッッいや"ぁぁああ""あああああああああああぁぁぁいぁぁぁぁあああぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁああああああ"!!!!!!!!」
イソラは、頭を抱え、目を瞑り、耳を塞ぎ、全てを拒絶するように泣き叫んだ。空気を伝いバチバチと全てを振動させるソレは、彼女の心の底からの叫び。
「ッいけない、ソラ!!!!」
ニコラスは咄嗟にイソラの両腕を掴む。正気を失ったイソラは彼の制止も構わず暴れ泣き叫ぶ。
「ッわたしのせいで!!!!わたしのせいで!!わたしが!!わたしが!!わたしが!!わたしが!!わたしが!!わたしが!!わたしが!!ぜんぶぜんぶわたしのせいでッ!!!!!!!!!!!!」
近くに居たラーナも驚き固まっていたが、ニコラスの声を聞いてすぐに彼女を抑えにやって来る。ありったけの力を使って暴れる彼女はまるで理性を失った獣のようだった。そんなイソラの姿を遠くで怯えた眼差しで見つめるミヤ。
「ッラーナ、彼女を医務室へ!!僕は安定剤を取ってきます!」
「分かった!」
ラーナが地面に蹲ったイソラを無理やり立ち上がらせると、3人は急いでモニタールームを後にした。ミヤもまたそれを泣きそうな顔で追いかける。
……騒々しさの消えた部屋の中、真っ赤に光るモニターの前で、一人立ち竦むサビク。モニター越しから響いたセシリアの悲鳴と、今しがた聞いたばかりのイソラの泣き叫ぶ声が、脳内を未だにジンジンと木霊しているような気がする。
カチ、コチ、カチ、コチ。
無音になった空間。時を刻む時計の針の音だけが響く部屋で、血塗れになった映像を見つめながら。モニターから反響する妹の笑い声を聞きながら。サビクは、何も言わなかった。
目の前に映るのは、真っ赤に染まった、かつて自分が愛した妹たちの姿。心から自分を慕ってくれていた、妹たちの姿。
憎悪を孕んだ呻き声を上げるセシリアの声が、無邪気に笑うチェカの笑い声が、モニターを通り越して自分の耳に直接響いているような感覚に陥る。
『___ゲーム終了、お疲れ様 チェカちゃん』
次いで聞こえた悪魔の声を耳に、サビクは自身の真っ黒なポンチョをぎゅっと握りしめる。
そして、ノイズと共に消えていく妹たちの姿を、彼はただ ぼんやりと見つめていた。
✝︎◆✝︎
「…落ち着いたみたいだね」
「ええ…そうですね」
涙で頬を濡らし浅い呼吸で眠りにつくイソラの額をラーナがそっと優しく撫でる。ニコラスが打った鎮静薬が効いたのだろう、イソラは医務室のベッドの上で静かに眠っていた。
「まさかイソラちゃんが突然あんな風になるなんて思わなかったよ…」
「何も不思議なことではありませんよ、こんな状況下では、人間いつ壊れてしまうか分からないんですから」
イソラの額を撫でるラーナの後ろ姿を見つめながらニコラスがそう言った。
「ロゼちゃんとルーナちゃんは、」
「ああ、2人なら大丈夫です。ロゼには寝室でルーナの様子を見てもらっています。……ゲームの様子を、彼女に見せるのは良くないと思ったので」
「そっか…ありがとうニコラスくん」
「ミヤちゃんも大丈夫?」
ラーナがちらりと横を見ると、ミヤはぼんやりと一点を見つめながらソファの上で膝を抱え蹲っていた。
「……………うん ………大丈夫」
彼女は小さな声でそう呟いた。その様子から彼女が憔悴しきっていることは一目瞭然だった。
「怖かったよね ミヤちゃんも」
ラーナのその言葉に、彼女は何も返さず、いっそう俯いてしまった。その沈黙によって、今ここにいる誰もが皆絶望の底にいるのだということが痛いほど分かった。
だめだ、だめだ、だめだ。このままではだめだ。僕が早く皆を救ってあげないと、このままじゃみんなきっと壊れてしまう。
弱りきったイソラとミヤの姿を見てラーナはそんなことを考える。不安か焦燥か、彼の心臓はバクバクと喧しく音を鳴らしていた。
彼女たちの苦しむ姿をこれ以上見たくない。早く救ってあげなければ。早く助けてあげなければ。そんな気持ちが彼の鼓動を急き立てる。この焦燥を誤魔化すように、ラーナは辛そうに顔を歪ませたイソラの頬を優しく撫でた。
「……?…ラーナ」
そんなラーナの様子を見ていたニコラスがふと、彼へ声をかけた。ラーナは顔だけをくるりと振り返らせニコラスを見た。
「ん?どうしたの?ニコラスくん」
ラーナは優しく微笑んでそう言った。しかし、ラーナを見るニコラスの目は驚いたように見開かれていた。
「…ニコラスくん?」
自分を見る彼のその表情の意味が、目線の意味が分からなくてラーナはこてりと首を傾げる。自分の顔に何かついているのだろうか?暫く驚いた顔をしていたニコラスが、首を傾げたラーナを見て目をぱちぱちと瞬かせる。
「ラーナ、貴方……」
ニコラスもまた緩く首を傾げる。そして彼は真っ直ぐにラーナの瞳を見て、言った。
「あなた なぜそんなに興奮しているんです?」
「……………は?」
突然、ニコラスはそんな事を言った。なんの事か分からずつい間抜けな声を出したラーナは、面食らった様子でニコラスを見る。
「ええと………ごめんニコラスくん…なんの事…?」
彼の言葉の意味がわからずラーナがそう問うと、ニコラスもまた不思議そうにラーナを見つめながら言う。
「だって今の貴方……心拍も早くなって顔も赤くなってますよ。熱かと思いましたがその呼吸の荒れ方からしてそうではない」
ラーナをじっと観察しながらニコラスがそう言った。よく分からない。そう思いつつもラーナは、ドクドクと忙しなく脈打つ自身の心臓に手を当てる。
確かに、心拍は上がってる。だけどそれは"焦燥"から来るもののはずだ。自分は今、家族を救えない己の無力さとこの絶望的な状況に焦りを感じているのだ。ただ、それだけ。
浅い呼吸を繰り返し眠るイソラを見て。何も言わず蹲った壊れかけのミヤを見て。バクバクと、心臓が脈打つのは。ただ、焦りを感じているだけのはず。ただ、それだけのはず。
"コレ"は、興奮なんかじゃない。
でも それじゃあ 湧き上がるこの感情は 一体何なのだろうか。
「ねえ、ラーナ」
訳が分からない様子のラーナを見て、ニコラスは、訝しげに、問う。
「あなた 一体 "何に"そんなに興奮しているんですか?」
ばちりと、ニコラスの瞳と、目が合った時。
ガチャッ。
「!!…神父様っ…、」
突如部屋の扉が開いたと思えば、暗い顔をした神父とシスターがやって来た。それにいち早く気づいたのはミヤのようで、ニコラスとラーナは彼女の声により遅れて2人に視線を移す。
「神父様…それに、シスター……戻られたんですね」
ニコラスは2人にそう声掛けた。彼の意識は完全にラーナから逸れたようだった。ラーナは、早まる鼓動と今しがた感じた不思議な感情に見て見ぬフリをする事にした。
…今はそんなものよりも、知らなければいけないことがあるから。
「神父さん、………コロシアムへ行ったんですよね?……セシリアちゃんは、」
ゲームが終わると同時、2人はいつも負けた子供たちの死体を探しにコロシアムの方へと向かっていた。無惨な最期を迎えた子供たちを、せめて弔いたいと言って。…だけど。
「………いや。やはり消えていたよ。セシリアの死体は、どこにもなかった」
…神父はどこか悲しそうな表情で、ハッキリと。そう言った。後ろに立っていたシスターも両手で顔を覆い隠し泣いているように見えた。
そんな気はしていた。だって、死んだ子供たちがこの孤児院に帰ってきたことなど1度もなかったから。誰もがみんな死んだと同時に姿を消していたから。
「…………そ っか」
ミヤが掠れた声でそう呟いた。その言葉に隠された感情が何なのかは、抑揚を失った声からはもはや何もわからなかった。
「…シスター セシリアちゃんの死体は、本当にどこにも無かったの?」
「………えぇ、本当よ…何度も探したわ…今までだってずっと…。でも、誰もどこにもいなかった………!」
シスターは震える声でそう言った。彼女の姿を見て、ラーナはそれ以上何も言わなかった。
「…死体すらも残してくれないなんて 本当に彼らは残酷なことをしますね」
ニコラスは冷たい声でそう言った。"彼ら"と指したそれはまさしくアーテルへの軽蔑なのだろう。
ラーナは窓の外で沈んでいく夕日をじっと見つめていた。まるで血のように真っ赤に染まった空は、あの時みたセシリアの姿を思い出させる。
姿を消した亡き子供たちはどこへ行ったのだろう。みんなこの夕日に飲み込まれてしまったのだろうか?そんなこと、考えても分からないことだけど。
シスターの啜り泣く声だけが響く静かな部屋は、あまりにも、空虚だった。
✝︎◆✝︎◆✝︎
るん、るん、るん。らん、らん、らん。
ご機嫌な鼻歌を歌いながら、チェカが夕日に照らされた廊下を軽やかに駆ける。
真っ赤な血でぐちゃぐちゃになった顔や髪や服が、窓から差し込む緋色のせいか余計に赤く照らされているように見える。
チェカは汚れた服を、体を、髪を洗うことなく、一目散にサビクがいるであろう部屋へと向かっていた。期待に踊る心と体が彼女の鼓動を心地よい程にノックする。
サビク、どんな顔してくれるかな?喜んでくれるかな?すごいねって、偉いねって褒めてくれるかな?チェカの大好きな優しいあの笑顔で、よしよしって頭撫でてくれるかな?
脳裏に浮かぶは優しい兄の笑顔。自分の頭を撫でる暖かな手。想像すればするほど居てもたってもいられなくなって、走るスピードはどんどん早くなっていく。
そしてついに、モニタールームの部屋の扉が見えた時。チェカはスキップでもしてしまいそうな程軽やかな足取りで扉の方へと駆け出す。
扉は半開きになっていて、中からはザーザーと砂嵐の音が聞こえた。多分、まだサビクはここにいる。
そうしてチェカは大きく背伸びをし、ギイ…と音を立てて扉を開けた。
「サビク!ただいま!」
チェカの思った通り、そこにはサビクの姿があった。他の子達の姿は見えない、恐らく部屋にいるのはサビク1人だけ。彼はソファは身を沈め窓の外を眺めているようだった。チェカはそんな彼の元へ無邪気に走り寄った。
「ねえサビク!チェカのこと見ててくれた?チェカとっても頑張ったんだよ!セシリアがチェカに死んで欲しいってお願いしてきた時はちょっぴり焦っちゃったけど、チェカ上手くできたでしょ!」
サビクの眼前でぴょんぴょんとウサギのように跳ねるチェカはまさに天真爛漫だった。そんな彼女の無垢な笑顔を汚す赤黒い血はどこか非現実的にも見える。
サビクは窓の方へと送っていた視線をゆるりとチェカの方へと向ける。彼のブラウンの瞳と目があうと、チェカは嬉しそうににへりと頬を緩ませた。
「あのね、チェカ…これ以上サビクが悲しくならないようにって頑張ったんだよ。この殺し合いに勝って、願いを叶えて貰ったら、サビクとチェカ……本当のパパとママのところで、"本物の家族"としてずっと幸せに暮らせるでしょ?」
「そしたらサビクの寂しい気持ちも悲しい気持ちもみんな無くなると思ったの!だからチェカ、痛くも怖くもなかったよ!チェカ、サビクのおかげでたくさんたくさん頑張れたんだよ」
花が咲いたように笑うチェカの姿はまさに兄を慕う妹の姿そのものだった。"本物の家族"の前で見せるチェカの笑顔は、何よりも眩しいものだった。
暫くして、ソファに背を預け座っていたサビクがスッと立ち上がった。ギシ、とソファの滲む音を耳に、彼の動きを目で追いかけながら、チェカは兄を見上げて笑う。
サビク、褒めてくれるかなあ?頭なでなでしてくれるかな?それとも、ぎゅってしてくれるのかな?わくわくと目を輝かせるチェカの瞳は期待に滲んでいた。
しかし。
サビクは、何も言わずにチェカの前を通り過ぎた。
「……………ぁ れ?」
予想外の出来事に、何が起こったのかんからないといった様子で固まるチェカ。しかし自分の前を横切り去っていく彼の姿を認識したと同時に、チェカは急いでサビクを追いかける。
「ね、ねえサビク、どうしたの…?チェカ、うまくできたでしょ…?セシリアに疑われないようにいっぱい演技もしたし、サビクと幸せになるために、が…頑張ったんだよ…?」
サビクは何も言わない。歩みも止まらなかった。その様子を見て、チェカの胸にザワザワとした不穏な風が吹き始める。
「さ、さびく……もしかして怒ってるの…?どうして…?殺すのが遅かったから…?それともチェカ、ちゃんと出来てなかった…?サビクがチェカを守ってくれたみたいに、チェカも強く、なりたいと、思って」
沈黙。無言。静寂。ツカツカと足音だけが響く空間に、いっそう不安に掻き立てられる。ザワザワとした風はやがて冷たい氷となり、チェカの心臓をじわじわと刺していく。
潰されてしまいそうな不安に耐えきれなくなったチェカは、サビクの手を両手で掴んで制止する。そして彼女は、縋りつくように叫んだ。
「ッサビク!チェカのこと褒めてよ!頑張ったねって言ってよ!チェカ、チェカっサビクのために頑張ったのに!!」
チェカの悲鳴が静かな廊下へ響き渡った。
その声を聞いて、サビクがチェカの方へと振り返った。
「チェカ」
そして、口を開いたサビクは
「いい加減にしてくれない?」
冷たい声で、そう言った。
「…………………ぇ………?」
聞いたことがないほど低く冷えきった言葉に、チェカの背筋を冷たいものが流れ落ちる。
「さ………さび く、ごめ」
「オレ言ったよね 余計なことするなって」
サビクが1歩、チェカへと近づく。チェカは、怯えきった表情と震える足で後ずさる。
「あんなこと頼んでないし、そもそもオレはそんなの望んでない。本当のパパ?ママ?幸せに暮らす?そんなの要らない、そんなもの俺はこれっぽっちも望んじゃいない」
また1歩近寄るサビク。もう一歩後ずさるチェカ。
「それに」
ピタりと立ち止まったサビクは、まるで感情のない冷たい眼差しでチェカを見下ろして告げる。
「オマエとオレは兄妹でもなんでもない、本当の家族なんかじゃないんだから」
チェカの体にピシャリと、衝撃が走る。
今、サビクは、なんて言ったのだろう?
「さびく なにいって」
「チェカはオレの妹じゃないよ 路地裏でお前を拾ったあの時から オレたちただの他人だったんだから」
頭が、ぐらぐらする。心臓がバクバクする。息の仕方がわからなくて、足の震えが止まらなくて、怖くて、怖くて、怖くて、怖い。
「…うう ん、チェカは サビクの 妹 で」
「違う」
「違わない!!どうしてそんな事言うの!?どうしてそんな怖い顔するの!?チェカが何かしたなら謝るからそんな事言わないでよ!」
「チェカ」
「嫌だ、っ嫌だ!!!嫌だッ!!!!そんなの絶対違うもん!!!チェカはサビクの妹で、チェカにとっての本当の家族はサビクだけで__」
「あのねチェカ」
荒ぶり叫ぶチェカの肩を掴んで、サビクは静かな声で言った。
「オマエがなんと言ったって オレにとっての本当の家族は お前なんかじゃないんだ チェカ」
彼はチェカの瞳をじっと見つめたまま、確かにハッキリそう言った。そしてその言葉が、その瞳が、嘘ではないということを 小さな少女へ、残酷に突きつける。
「…………分かったらこれ以上オレの邪魔しないでね」
そう言い残すと、サビクはチェカを置いてその場から立ち去ってしまった。
震える手では去っていくサビクを止めることが出来ない。いや、それよりも。彼から受けた明確な拒絶を前に、彼の名を呼び止めることなど出来なかった。
…サビクが チェカのほんとうのおにいちゃんじゃないなら チェカたちが 本当の、かぞくじゃないなら
チェカ 何のために 頑張ってきたの?
何のために セシリアを殺したの?
何のために
生きれば
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
***
夢を見た。
それはずっとずっと遠い昔の記憶。自由を許されない環境下で、大人達の為に身も心も捧げ続けた日々のこと。
悲しくて泣いた時も 苦しくて助けを求めた時も、私を救い出してくれる人なんてどこにもいなかった。
沢山のお金を手にいれて、身なりを着飾っても、感情を偽っても、いつまでも心は空っぽのままだった。
空を見上げれば真っ青な晴天が広がっているのに、空を舞う鳥たちはあんなにも自由なのに、どうして私はあの空を飛ぶことが出来ないのだろうと。何度も何度も思い焦がれた。
空想に筆を走らせ願いを押し殺すことしか知らなかった飛べない鳥。このままずっと、私はこの狭い鳥籠に囚われたままなんだと思っていた。…だけど違った。
祝福の鐘が響くハイラート。真っ白い純白に身を包み込んだ幸せそうな男女の姿。それは色を失った私の世界に突如現れた、鮮やかな、純白。
美しい笑顔で笑う花嫁が私に告げる。
「変われるわ、どうしようもない、世界で1番価値のないと思っていた私が変われたんだもの」
鐘の音に混じり聞こえた彼女の言葉は、私に確かな願いを与えた。鳥籠から飛び立つ勇気を、与えてくれた。だから私は飛び出したの。
たとえこれが間違っていたとしても。私はもう戻ることは出来ない。
だって、私が変わるには、これしか方法がないんだもの
だから私は、今もずっと飛べないままなんだ。
*
「……ん、……?」
イソラが薄ら目を開くと、窓からは優しい月の光が暗い部屋の中へと差し込んでいた。時計を見たところまだそれ程夜は更けていない。自分はいつの間に眠っていたのだろう?思い出そうとすると酷く吐き気がした。
「…お水、」
覚醒と同時に込み上げてくる気持ちの悪さを誤魔化そうと、イソラはベッドから起き上がり医務室を後にした。
夜はやはり多少冷え込むようで、冷たくなった空気に撫でられる頬はひんやりとしていて少し寒い。イソラは体を擦りながらキッチンの方へと歩を進めた。
……ふと、考えたくもないことが頭を過ぎる。明日行うであろう最後のゲームについてのこと。
前回のゲームでセシリアとチェカが当たった時点で、次のゲームのペア相手は決まったも同然の事だった。あの時は何も考えないようにしていたけれど、とうとうそれも出来ない所までやってきた。
明日。自分は、確実に、サビクと戦うことになる。
自分の手を握り、抱きしめて、優しい声で言葉を掛けてくれたいつかの彼の姿が思い出される。あの時の彼の笑顔は眩しくて、暖かくて、決して汚したくないと強く思った。
それなのに。どうしてこんな事になってしまったのだろう。自分の幸せを願っていると言ってくれた彼と、互いの命を奪うゲームをするなんて。
「……………私、サビくんと戦うなんて 絶対嫌だったのに」
小さな声で呟いた自身のその言葉が、イソラをよりいっそう苦しめる。自分を大切にしてくれる彼と敵対しなければならないのだという事実に足が重くなっていく。
イソラがそんな思考に陥っていると
突如、キッチンの方がパリン!という甲高い音が響き渡った。
その音に咄嗟にイソラはぎゅっと身を強ばらせる。あの音は恐らく皿か何かが割れた音だろうか?誰かがキッチンにいるということは確かだった。
イソラは小さく深呼吸をした後、なぜだかドキドキとする心臓をきゅっと抑えながら、恐る恐る音がしたキッチンの方へと進んでいく。
キッチンの前に着いた時、そこには確かに人の気配があった。だけどそれ以外に何かが動く物音はなかった。不安な気持ちを抱えたまま、イソラがひょこりとキッチンへ顔を覗かせると、そこには
「………__ぁ」
月光に照らされた、桃色の髪のチェカが立っていた。彼女の姿を見て、イソラはぞわりと小さく震える。
あの時。モニターで見た光景。ぐちゃぐちゃになった親友の姿と、血みどろで無邪気に笑っていたチェカの姿。無意識ながら思い出さないようにしていたはずの記憶が、彼女の後ろ姿を見ると同時に呼び起こされる。
しかし、よく見てみるとチェカの足元にはキラキラとガラスの破片と水が飛び散っていた。そこには何本か枯れかけの花も散らばっており、彼女が花瓶を割ったのだということはすぐに分かった。
「(だめ、だめ…落ち着かなきゃ、私が取り乱しちゃだめだよ)」
ドクドクと早くなる心臓を撫でながら、イソラは自分を落ち着かせる。頭にチラつく赤を、悲鳴を、親友の泣き顔を。今だけは、思い出さないようにしながら、彼女は怯えを潜めゆっくりとチェカの元へと近寄っていく。
「…あ、あの…、…チェカちゃん、大丈夫……?か、花瓶…落としちゃったの…?」
イソラが恐る恐る声をかけながら近づくも、チェカは微動だにせずその場に立ち尽くしていた。それを訝しげに思いながらも、イソラは進んでいく。
「………チェカちゃん…?……このままじゃ破片、危ないよ…、私が片付けるからチェカちゃんは向こうに、」
そしてチェカの前へと回り込んだイソラは、彼女の姿を見てギョッと目を見開く。
「………ちぇ、…チェカちゃん…?」
チェカは、まるで表情が抜け落ちたような、なんの感情も宿らない生気の抜けた顔をしていた。瞳は虚ろに開かれていて、どこを見ているのか分からなかった。
「…どうしたの?どこかケガでもした…?」
いくらイソラが声をかけても、チェカから反応が返ってくることはなかった。確かにここにいるはずなのに、まるで魂だけがどこかへ行ってしまったかのような少女は、いつかの無邪気に笑っていたあの姿とは比べ物にならなかった。
「…っと、とりあえず、お花……と片付けるね…?」
彼女の異様な状態に動揺しながらも、地面に散らばった花をイソラが取ろうとした瞬間
「ねえイソラ チェカって なんのためにうまれたの」
「…っへ?」
チェカが、ぽつりと呟いた。その言葉の意味がわからなくて彼女の方を見るも、未だチェカは虚ろな表情をしたままだった。
「ち、チェカちゃん、どうして」
「ちぇかのほんとうのかぞくはどこにいるの?」
「待ってチェカちゃん、何言って…」
「チェカ、いらないこだったの?」
「ねえっ、本当にどうしちゃったの…?」
明らかに様子のおかしいチェカの肩にそっと手を置いた。そうして濁り淀んだチェカの瞳がイソラの瞳を見た時、チェカが乾いた唇で呟いた。
「どうしてサビクは チェカのことすてたの」
「…え」
その言葉の意味を理解するのに数秒かかった。どういう事だろうか。サビクが、チェカを、捨てた?
あんなにも家族想いで、いつでも自分を気にかけてくれて、優しくて、暖かなあの人が、実の妹を捨てる?
なんの冗談だろう。だけどきっと冗談なんかねはないことをイソラは分かっている。チェカの振り絞るような掠れた声が、虚ろなその瞳が、冗談ではないことを語っていたから。
「…ねえチェカちゃん、」
イソラの言葉が彼女に届いてるのかどうか分からなかった。彼女と目が合っているはずなのに、チェカはまるで自分を通してどこか遠くを見ているように見えて。
もしかしたらこれ以上踏み込まない方がいいのかもしれない。これ以上はチェカを傷つけてしまうことになるかもしれない。…そう思いながらもイソラは、言葉を止めることは出来なかった。
「サビくんと、いったい何を話したの…………?」
イソラがそう聞いたと同時。
『____さーーーてみんな!今回で記念すべき最後のラストゲームだ!』
突如、キィンという甲高いノイズと共に軽快な声色でアーテルが現れた。突然のことにびくりと肩を震わせたイソラと、なんの反応も見せないチェカ。
『賢いみんなならきっともうわかってると思うけど…折角だからね!次の対戦ペアを発表しようと思いまーす!』
ダメ。だめ。だめ。
それは今1番考えたくなかったこと。1番聞きたくなかったこと。
『それじゃあ発表するよ!』
やめて、なんて願っても、この人が止まらないことをイソラは分かっている。
『最後のゲームを飾るめでたい対戦ペアはこの2人!!』
『イソラちゃん&サビクくんでーす!』
「……ぁあ、」
わかってる、そんなのわかってる。だけどいざ改めて彼の名を聞くと、ぎゅう、と胸が締め付けられるような感覚に陥った。
そしてイソラは、目の前のチェカの顔を恐る恐る伺った。もしかしたら、サビクを守るためにチェカが何かしてくるのじゃないかと思ったから。
…だけどチェカは、サビクの名を聞いても尚、光の無い瞳で虚ろな顔をして固まっていた。まるで死んでるみたいに。
それを見て、イソラの胸に大きな不安が渦となりじわじわと彼女を取り囲む。
「チェカちゃ、」
「………チェカ もうもどる」
「っあ、まってチェカちゃん…!」
そう呟いたあとイソラの前を覚束無い足取りだ通り過ぎたチェカは、そのまま止まることも振り返ることもせずフラフラとキッチンから去っていった。
…ゲーム中では、サビクの為に武器をとり、サビクの為に家族を殺し、サビクの為に勝利を手に入れたはずのチェカ。兄思いであったはずの少女。そんな彼女が、どうしてあんな風になってしまったのだろうか?
まるで別人のようになってしまったチェカの後ろ姿を見つめながら、1人になった部屋の中で、イソラは考える。
優しい笑顔で笑うサビクのこと。大切な家族と共に無邪気にはしゃぐ彼のこと。誰よりも家族想いで、誰よりも優しかった彼のこと。夕日が照らす廊下で、彼の暖かい温もりに包まれた時のこと。
イソラは、彼のことを信じていた。彼の家族への想いを、愛を、心から信じていた。自分を救ってくれた彼を、疑うことなどできなかった。
それなのに。チェカのあの姿を見て、言葉を聞いて。イソラの中で渦巻く疑念を、不安を、拭うことが出来ない。
イソラは、地面に落ちた1本の花をとる。萎れて可憐さを失ったそれはまるで今の自分と同じように思えた。
…ねえサビくん
私本当に、貴方のこと、信じてもいいのかな…?
浮かんだそんな感情を否定する術が分からず、イソラはきゅっと花を握りしめた。
✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎◆✝︎
遅かれ早かれ、この日が来るのであろうことは分かってた。
今まで沢山の家族の死んでいく姿を見てきた。愛おしい兄弟たちが、絶望の底で息絶えていくのをただ見ているだけだった。
苦しかった。ずっとずっと。どうして自分は何も出来ないんだろうって。どうしてあの子たちがあんな目に合わなければならないんだろうって。
それと同時に、"羨ましい"とも。
だけどもう、大丈夫
「………これが、オレに残された最後のチャンス」
サビクは自身の真っ黒なポンチョをまたキュ、と握りしめる。
悲しいけれど、苦しいけれど。これは全部、願いを叶える為にやる事だから。後戻りはできない。
サビクは一人きりで窓の外の夜空を見つめる。それ以上彼は何も言わなかった。
※この創作はフィクションです。
実在する団体・個人とは関係ありません。
※3L要素(異性愛・同性愛描写)が含まれる可能性があります。
※暴力・流血表現、ロスト、死ネタ、R指定要素あり。
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